「サッカーウクライナ代表」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[1991年]]に[[ウクライナ]]が独立を果たした事に伴い、代表チームは創設された。翌[[1992年]][[4月29日]]、[[サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]との間で初の国際試合が行われたが、[[1994 FIFAワールドカップ|1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]への参加は見送った。このため、[[アンドレイ・カンチェルスキス]]や[[ヴィクトル・オノプコ]]を始めとしたウクライナ国籍をもつ多くの有力選手たちが、実質的に[[サッカーソビエト連邦代表|ソビエト連邦代表]]を継承した[[サッカーロシア代表|ロシア代表]]としてプレーをすることを選択した。このあたりの歴史については後藤健生が誰よりも詳しく、サッカー雑誌などでその知識と見識を披露しているので各自参照にされたい
 
数年後、[[アンドリー・シェフチェンコ]]や[[セルゲイ・レブロフ|セルヒーイ・レブロフ]]といったタレントが育ち、[[1998 FIFAワールドカップ・予選|1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選9組]]では[[サッカードイツ代表|ドイツ]]と接戦を演じ同組2位でプレーオフ進出を果たす。1997年10月から11月にかけて行われたプレーオフの相手はウクライナと同じく独立を果たして間もない[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]との対戦となったが、敵地での初戦を0-2で落すとホームでの第2戦を1-1で引き分け、ワールドカップ出場を逃すこととなった。