「キルデベルト1世」の版間の差分

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キルデベルトはゴート族出身と思われるウルトゥロゴタ(Ulthrogotha)と結婚し、2人の娘クロドシンダ(Chrodosinda)とクロドベルガ(Chrodoberga)をもうけたが、男子には恵まれなかった。このため相続人がいないまま558年に死去し、弟のクロタール1世が領土を継承した。妻と娘はクロタールによって宮廷を追われた。
 
キルデベルト1世は自らが建立したパリの聖ヴァンサン教会修道院(後に[[サン=ジェルマン=デ=プレ教会|サン=ジェルマン=デ=プレ修道院]])に葬られた。この教会修道院はその後、[[メロヴィング朝|メロヴィング家]]の霊廟に定められたので、キルデベルトは同教会修道院に埋葬された王家の最初の人物となった。彼の妻と娘たちに関しては567年以降の消息は不明である。未亡人ウルトゥロゴタも、死後に夫と同じ教会修道院に埋葬されている。
 
== 参考文献 ==