「ゴート起源説」の版間の差分

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ゴート起源説は、[[三十年戦争]]で頂点に達したが、その終結と共に形骸化した(事実上の終焉)。クリスティーナ女王自身がこの説を否定し、[[ヨーロッパ世界|キリスト教世界]]の共存共栄を打ち出したからである。また、[[1648年]]の[[ヴェストファーレン条約]]により、ヨーロッパの[[バランス・オブ・パワー]]が重視された[[ヴェストファーレン体制]]の成立も起源説の退潮に拍車をかけた。その後、スウェーデンは、バルト海一帯を支配する[[バルト帝国]]の維持にその正当性を持たせたが、[[18世紀]]に行われた[[大北方戦争]]の敗北により、その正当性を失った。
 
なお、マグヌスは作中で[[スウェーデン君主一覧|スウェーデンの君主]]として8人の[[カール]]と10人の[[エリク]]を創設した。史実的には、[[カール9世 (スウェーデン王)|カール9世]]と[[エリク11世 (スウェーデン王)|エリク11世]]より前には、カールとエリクと言う名の君主は存在していないとされる。しかし、カール9世が[[1604年]]に即位した当時は、その存在は確実視されていた。また、上記のカルマル同盟において、スウェーデン王に即位した[[エーリク7世 (デンマーク王)|エリク7世]]は、スウェーデンではゴート起源説に基づきエリク13世と呼称された。また、カール・クヌートソンは、スウェーデン[[摂政]]でありながら王の地位を得たとされ、即位当時はカール2世、後にゴート起源説に基づき[[カール8世 (スウェーデン王)|カール8世]]と呼称された。
 
この[[伝説]]は、スウェーデンにおいては歴史的に信じられてきたが、現代においては、この起源説は、根拠のないもの、考古学的な裏付けがなされていないとして、社会文化的な研究対象に置かれてはいるが、歴史学の対象とされてはいない。ヴァンダル人に関しては名前の類似性から、ノルウェーのハリングダール(Hallingdal)、スウェーデンのヴェンデル(Vendel)、デンマークのヴェンドシッセル(Vendsyssel)が彼らの故郷ではないかという説もあるが、ゴート人やヴァンダル人のスカンディナヴィア起源説は、現在では疑問視されている。