「マルティン・ヴァルトゼーミュラー」の版間の差分

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[[ファイル:MartinWaldseemüller.jpg|thumb|200 px|この肖像画は19世紀に描かれたものである]]
'''マルティーン・ヴァルトゼーミュラー'''(Martin Waldseemüller, [[1470年]] - [[1521年]]/[[1522年]])は[[ドイツ]]の[[地理学者]]である。彼とマティアス・リングマン (Matthias Ringmann)は1507年の「世界地誌概説」において初めて「[[アメリカ州|アメリカ]]」という名を用いたということで知られている人物である。「アメリカ」という名は[[フィレンツェ]]人の探検家[[アメリゴ・ヴェスプッチ|ヴェスプッチ]]にちなんでいる
 
彼とマティアス・リングマン (Matthias Ringmann) は、1507年の「世界地誌概説」において、初めて「[[アメリカ州|アメリカ]]」という名を用いたということで知られている。「アメリカ」という名は[[フィレンツェ]]人の探検家[[アメリゴ・ヴェスプッチ]]にちなんでいる。
== 生涯 ==
 
== 生涯 ==
ヴァルトゼーミュラーは、[[フライブルク・イム・ブライスガウ]]で生まれ、[[フライブルク大学]]で学んだ。
1507年4月25日、彼は2種類の全体的な世界地図を作成し、それらの中で「アメリカ」という名を初めて用いた。1つ目の地図は、球状の世界地図の展開図であり、購入者が裁断して適切な球体に貼り付けて使用することを目的とされていた。もう1つの地図は12枚に分割されていて、額に入れて掲示するための巨大な世界地図である。それらの地図に地図学についての入門書である「[[宇宙誌入門]](Cosmographiae Introductio)」という冊子が添付されて出版された。その冊子には[[ラテン語]]に翻訳された[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%81 アメリゴ・ヴェスプッチ]の航海の手記が含まれているが、歴史家の中にはこの手記はイタリアの友人に宛てる書簡の形を取った[[偽書]]であると考えているものもある。この冊子に、新大陸を発見者であるアメリゴからアメリカと呼称することにしたという説明がある。以下はその引用である。
 
1507年4月25日、彼は2種類の全体的な世界地図を作成し、それらの中で「アメリカ」という名を初めて用いた。1つ目の地図は、球状の世界地図の展開図であり、購入者が裁断して適切な球体に貼り付けて使用することを目的とされていた。もう1つの地図は12枚に分割されていて、額に入れて掲示するための巨大な世界地図である。それらの地図に地図学についての入門書である「[[宇宙誌入門]](Cosmographiae Introductio)」という冊子が添付されて出版された。その冊子には[[ラテン語]]に翻訳された[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%81 [アメリゴ・ヴェスプッチ]]の航海の手記が含まれているが、歴史家の中にはこの手記はイタリアの友人に宛てる書簡の形を取った[[偽書]]であると考えているものもある。この冊子に、新大陸を発見者であるアメリゴからアメリカと呼称することにしたという説明がある。以下はその引用である。
<blockquote>『ab Americo Inventore...quasi Americi terram sive Americam (from Amerigo the discoverer ...as if it were the land of Americus, thus America)』</blockquote>1513年、おそらく同業者からアメリカ発見と命名におけるヴェスプッチの役割(の過大評価)についての抗議を受けたため、あるいは単に北米に相当する地域の発見を期待して、ヴァルトゼーミュラーは「アメリカ」という命名を再考したと考えられる。そして、彼は改訂した地図の中でその大陸は単にラテン語で「未知の土地 (Terra Incognita)」と表記するに止めた。その改訂にもかかわらず、アメリカと記述された2枚組みの世界地図の1000部のコピーはすでに流通しており、この新大陸は「アメリカ」として知られるようになった。一部の書類で北アメリカは「インド諸国 (Indies)」と記され続けたが、徐々に「アメリカ」という呼称に統一された。
 
<blockquote>『ab Americo Inventore...quasi Americi terram sive Americam (from Amerigo the discoverer ...as if it were the land of Americus, thus America)</blockquote>1513年、おそらく同業者からアメリカ発見と命名におけるヴェスプッチの役割(の過大評価)についての抗議を受けたため、あるいは単に北米に相当する地域の発見を期待して、ヴァルトゼーミュラーは「アメリカ」という命名を再考したと考えられる。そして、彼は改訂した地図の中でその大陸は単にラテン語で「未知の土地 (Terra Incognita)」と表記するに止めた。その改訂にもかかわらず、アメリカと記述された2枚組みの世界地図の1000部のコピーはすでに流通しており、この新大陸は「アメリカ」として知られるようになった。一部の書類で北アメリカは「インド諸国 (Indies)」と記され続けたが、徐々に「アメリカ」という呼称に統一された。
 
この壁掛け用の世界地図は長い間失われていたが、1901年に[http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Fischer ジョセフ・フィッシャー] (Joseph Fischer) によって南ドイツにある城からコピーが発見された。それは現存する唯一のコピーであり、[[アメリカ議会図書館]]によって2001年に購入が提案され、2003年に正式に買い取られた。球状の世界地図は4部が裁断前の形で現存しており、そのうちの一部がアメリカ大陸側にあり、[[ミネソタ大学ツインシティー校]]の図書館に収蔵されている。
 
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