「ベルリン封鎖」の版間の差分

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西ベルリンの市民が必要とする食料は1日あたり、小麦および小麦粉646 t、穀類125 t、肉・魚介類109 t、油脂類64 t、乾燥ポテト180 t、乾燥野菜144 t、砂糖85 t、コーヒー11 t、粉乳24 t、イースト3 t、塩38 t、チーズ10 tの合計約1,439 tと見積もられた。また、このほかに市内で消費する燃料の石炭やその他の生活必需品などが1日あたり約3,000 t必要であると見積もり、空輸の最低量は1日4,500 tと設定された。これを満たすために、C-54輸送機が続々と追加派遣され、ベルリン大空輸の主力となった。
 
空輸作戦に使用された航空機はC-54が中心となり、搭載量の少ないC-47は早期に撤退した。他に[[C-74 (航空機)|C-74]]・[[C-82 (航空機)|C-82]]・[[C-97 (航空機)|YC-97A]]などの大型の輸送機が少数のみ試験的に投入された。機数が少なかったためこれらの大型航空機は主力とはならなかったが、以降の輸送機の発展の方向性を示すことになった。このほかにもイギリスが民間の航空会社からチャーターした輸送機を派遣したことから、[[アブロ ランカスター|アブロ ランカストリアン]]・[[ハンドレページ ハリファックス|ハンドレページ ホールトン]]・[[ショート サンダーランド|ショート ヒース]]・[[ビッカース ヴァイキング]]などの雑多な輸送機が作戦に投入された。大量の物資を運ぶこれらの輸送機は、ベルリン市民からは Rosinenbomber(干しブドウ爆撃機)[[ロジーネン・ボンバー]]のニックネームで呼ばれた。
 
ベルリン大空輸に際しては、米英のほかにフランスも当初参加していた。しかしフランスは戦勝国とはいえ大戦中には長くドイツの占領を受けて、地上戦の被害も大きく、国自体が復興の途上にあった。このため輸送機の数を確保できなかったことやその参加機も事故で失われたことなどから、早期に作戦から外れた。これ以外に[[オーストラリア]]・[[ニュージーランド]]・[[南アフリカ]]が乗務員を派遣している。