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[[画像:Dynastic Sequence of Singhasari and Majapahit.JPG|thumb|400px|right|シンガサリ=マジャパヒト歴代君主系図]]
{{インドネシアの歴史}}
'''マジャパヒト王国'''(マジャパヒトおうこく、Kerajaan Majapahit)は[[13世紀1293年]]から[[16世紀1478年]]始め頃まで[[ジャワ島]]中東部を中心に栄えた[[インドネシア]]最後の[[ヒンドゥー教]]王国。最盛期にはインドネシア諸島全域と[[マレー半島]]まで勢力下に置いたとの説がある一方、実際にはジャワ島中東部を支配したにすぎないとする説もある。なお、表記に「マジャパイト」と書くこともある。綴りは"Majapahit"であるが、ジャワ語では、h音を発音しないからである。
 
== 成立 ==
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15世紀以降はイスラム教が浸透して、マラッカ王国がイスラム化したのを始め、[[マタラム王国]]がジャワ北岸のトゥバン、{{仮リンク|グレシク県|en|Gresik Regency|label=グレシク}}などにもイスラム教国が成立する。
 
[[1478年]]、マジャパヒト王国でも{{仮リンク|クルタウィジャヤ|id|Kertawijaya}}が、息子の{{仮リンク|ブラウィジャヤ|id|Brawijaya|label=ブラウィジャヤ5世}}(シンハウィクラマワルダナ)の妃に[[チャンパ王国]]からムスリムの公主を迎え、内政でもイスラームへの[[改宗]]を容認した。
 
ブラウィジャヤ5世の息子{{仮リンク|ラデン・パタハ|id|Raden Patah}}が[[ドゥマク王国]]を建国し、[[サムドラ・パサイ王国]]と友好関係を築き、[[ワリ・サンガ]]によるイスラム教布教によって急速に国力を増大した。[[1478年]]、ドゥマク王国はマジャパヒト王国のブラウィジャヤ5世に[[宗主権]]を認めさせた。
[[1478年]]、ドゥマク王国はマジャパヒト王国のブラウィジャヤ5世に[[宗主権]]を認めさせた。
16世紀に始めに[[ドゥマク王国]]を中心としたイスラム勢力に滅ぼされたとされる。
 
==遺跡調査その他==