「ハインリヒ6世 (ケルンテン公)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ZéroBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: sv:Henrik av Böhmen
m編集の要約なし
6行目:
ルドルフは翌1307年に戦病死したため、ハインリヒは王位を回復するが、1310年に今度は妃アンナの妹[[エリシュカ・プシェミスロヴナ|エリシュカ]](エルジュビェタ)と結婚した[[ルクセンブルク家]]の[[ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハン]](ヤン)がボヘミア王に選ばれ、ハインリヒは廃位されてアンナと共にケルンテンへ逃れた。
 
チロル系ゲルツ家の男系男子はハインリヒで断絶し、娘の「マウルタッシュ」(醜女)こと[[マルガレーテ (チ・フォン・ティロル女伯)|マルガレーテ]]が唯一の相続人となった。遺領をルクセンブルク家、[[ヴィッテルスバッハ家]]、ハプスブルク家が争うが、ケルンテンはいち早くハプスブルク家の[[アルブレヒト2世 (オーストリア公)|アルブレヒト2世]](賢公)が獲得した。チロルは3家が三つ巴になって争うが、最終的にアルブレヒト2世の子[[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]が奪取し、以後ハプスブルク家の家領となった。
 
== 子女 ==
13行目:
[[1313年]]、[[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク|ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公]][[ハインリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン公)|ハインリヒ1世]]の娘アーデルハイト(1285年 - 1320年)と再婚、2人の子を儲けた。
#アーデルハイト(1317年 - 1325年)
#[[マルガレーテ (チ・フォン・ティロル女伯)|マルガレーテ]](1318年 - 1369年) - [[1330年]]、ボヘミア王[[ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハン]]の次男[[ヨハン・ハインリヒ・フォン・ルクセンブルク|ヨハン・ハインリヒ]]と結婚したが[[1341年]]に離婚、[[1342年]]に[[ブランデンブルク辺境伯]][[ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ2世]]と再婚。
 
[[1327年]]、[[サヴォイア伯国|サヴォイア伯]][[アメデーオ5世・ディ・サヴォイア|アメデーオ5世]]の娘ベアトリクス(1310年 - 1331年)と再婚した。子供はいない。
20行目:
{{先代次代|[[ボヘミア君主一覧|ボヘミア王]]|(復位)1307年 - 1310年|[[ルドルフ1世 (ボヘミア王)|ルドルフ1世]]|[[ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヤン]]}}
{{先代次代|[[ケルンテン公国|ケルンテン公]]|1295年 - 1335年|[[マインハルト (ケルンテン公)|マインハルト]]|[[オットー (オーストリア公)|オットー4世]]<br>[[アルブレヒト2世 (オーストリア公)|アルブレヒト2世]]}}
{{先代次代|チロル伯|1295年 - 1335年|[[マインハルト (ケルンテン公)|マインハルト2世]]|[[マルガレーテ (チ・フォン・ティロル女伯)|マルガレーテ]]<br>[[ヨハン・ハインリヒ・フォン・ルクセンブルク|ヨハン・ハインリヒ]]}}
 
{{History-stub}}