「ガブリエラ・ミストラル」の版間の差分

→‎生涯:  ビクーニャ(出生地)へのリンクがビクーニャ(生物)にリンクしてしまっているため削除。
(→‎生涯:  ビクーニャ(出生地)へのリンクがビクーニャ(生物)にリンクしてしまっているため削除。)
 
== 生涯 ==
チリ北部の[[ビクーニャ]]に生まれる。3歳の時、父親のフアン・ジェロニモ・ゴドイが出奔。送金が途絶えたため、異父姉が働く[[アンデス山脈|アンデス]]山中の寒村で9歳まで過ごす。転校先で放校処分を受け、独学で詩を書き始める。14歳の時、小学校の代用教員就任をふり出しに、独学で教員資格をえて、教師や学校長として国内各地に赴いた。
 
[[1904年]]に地方紙などに初期詩編を発表したころから、詩人の道を歩み始める。1906年に鉄道員ロメオ・ウレタと交際。しかし彼が1909年に自殺した悲しみは、死への影響の強い作風に生涯傾くことになり、のち[[1922年]]の詩集『Desolación』に色濃く反映される。[[1914年]]に発表した『Sonetos de la Muerte』以降、ガブリエラ・ミストラル(敬愛する[[ガブリエーレ・ダヌンツィオ]]と[[フレデリック・ミストラル]]から援用した)名義を使用した。
344

回編集