「ガブリエラ・ミストラル」の版間の差分
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== 生涯 ==
チリ北部の
[[1904年]]に地方紙などに初期詩編を発表したころから、詩人の道を歩み始める。1906年に鉄道員ロメオ・ウレタと交際。しかし彼が1909年に自殺した悲しみは、死への影響の強い作風に生涯傾くことになり、のち[[1922年]]の詩集『Desolación』に色濃く反映される。[[1914年]]に発表した『Sonetos de la Muerte』以降、ガブリエラ・ミストラル(敬愛する[[ガブリエーレ・ダヌンツィオ]]と[[フレデリック・ミストラル]]から援用した)名義を使用した。
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