「リットン調査団」の版間の差分

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内政干渉
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この報告により、イギリスやアメリカ、フランスやイタリアをはじめとする連盟各国は「和解の基礎が築かれた」と大きな期待をもった。リットンを長とする委員会は、[[1932年]]3 - 6月にわたり満州国および中華民国を調査し、9月に報告書を提出した。この間の[[3月1日]]に[[満州国]]が独立を宣言、中華民国政府は承認しなかったが報告書提出前の[[9月15日]]に日本は同国の独立を承認した。
 
リットン報告書は「柳条湖事件における日本軍の侵略は自衛とは認められず、また、満州国の独立も自発的とはいえない」とした。しかし、「事変前の状態に戻ることは現実的でない」として日本の満州国における特殊権益を認め、日中間の新条約の締結を勧告したが、この報告書をめぐり日中は対立した。内容的には日本にとって「名を捨て実を取る」ことを公的に許す報告書であったにもかかわらず、報告書の公表前に満洲国を承認し、「満洲国が国際的な承認を得る」という1点だけは譲れない日本はこれに反発した。
 
内容的に[[1933年]][[2月24日]]の国際連盟総会で「中紛争とって「名を捨て実を取関す国際連盟特別総会報告書の採択が付議された。とを公的に許す報告書であったにもかかわらず、はリットン調査団報告書の公表前を基礎満洲国作成されたものであるが、その結論承認すべて採用たわけではなく、「満洲国州の主権は争う余地国際的承認く、日本が軍事行動とったことを誤りであした1点だけえで、法律論及び事実の両面から満州国を承認すべきで譲れく、日本はこれに反発軍が満州鉄道の鉄道ちくまで撤退すべきである」<ref>高橋文雄2011.3、PDF-P.11</ref>とした[[1933年]][[2月24日]]

国際連盟総会での報告書に対する同意確認の結果、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現[[タイ王国|タイ]])、投票不参加1国([[チリ]])であり、国際連盟規約15条4項<ref>紛爭解決ニ至ラサルトキハ聯盟理事會ハ全會一致又ハ過半數ノ表決ニ基キ當該紛爭ノ事實ヲ述へ公正且適當ト認ムル勸告ヲ載セタル報告書ヲ作成シ之ヲ公表スヘシ</ref>および6項<ref>聯盟理事會ノ報告書カ【紛爭當事國ノ代表者ヲ除キ】他ノ聯盟理事會員全部ノ同意ヲ得タルモノナルトキハ聯盟國ハ該報告書ノ勸告ニ應スル紛爭當事國ニ對シ戰爭ニ訴ヘサルヘキコトヲ約ス(報告書が当事国を除く理事会全部の同意を得たときは連盟国はその勧告に応じた紛争当事国に対しては戦争に訴えない)</ref>についての条件が成立した。[[松岡洋右]]全権率いる日本はこれを不服としてその場で退場し、日本政府は3月8日に脱退を決定(同27日連盟に通告)し、日本国内世論はを拍手喝采をもって迎えた。42対1は当時日本で流行語になり[[語呂合わせ]]で「向こうは死に体でこっちは1番なんだ」等と一部で評された。
 
==その後==