「キルデベルト1世」の版間の差分

m
編集の要約なし
編集の要約なし
m編集の要約なし
[[image:Jean-Louis Bézard - Childebert Ier roi de Francs (mort en 558).jpg|thumb|キルデベルト1世、ジャン=ルイ・ベザール(Jean-Louis Bézard)画、1838年]]
[[File:Roi_Childebert_Louvre_ML93.jpg|thumb|キルデベルト1世の石像、13世紀]]
'''キルデベルト1世'''('''Childebert I.''', 、[[496年]]頃 - [[558年]][[12月23日]] [[パリ]])は、[[フランク王の一覧|フランク王]][[クロヴィス1世]]とその王妃[[クロティルダ (フランク王妃)|クロティルデ]]の間の次男(父にとっては三男)。[[パリ]]王(在位511年 - 558年)。
 
== 生涯 ==
キルデベルトは533年頃に異母兄の[[ランス]]王[[テウデリク1世]]が死ぬと、またも弟クロタールと計らってその遺領を奪おうとしたが、テウデリクの息子[[テウデベルト1世]]の根回しによって失敗した。その後、息子のいないキルデベルトは強力な甥のテウデベルト1世を養子にして後継ぎとして扱ったが、テウデベルトは547年(ないし548年)に死去した。またキルデベルトとテウデベルトは共同でクロタール1世を攻めたが、不首尾に終わった。
 
キルデベルトは[[ゴート族]]出身と思われるウルトゥロゴタ(Ulthrogotha)と結婚し、2人の娘クロドシンダ(Chrodosinda)とクロドベルガ(Chrodoberga)をもうけたが、男子には恵まれなかった。このため相続人がいないまま558年に死去し、弟のクロタール1世が領土を継承した。妻と娘はクロタールによって[[宮廷]]を追われた。
 
キルデベルト1世は自らが建立したパリの聖ヴァンサン[[修道院]](後に[[サン=ジェルマン=デ=プレ教会|サン=ジェルマン=デ=プレ修道院]])に葬られた。この修道院はその後、[[メロヴィング朝|メロヴィング家]]の霊廟に定められたので、キルデベルトは同修道院に埋葬された王家の最初の人物となった。彼の妻と娘たちに関しては567年以降の消息は不明である。未亡人ウルトゥロゴタも、死後に夫と同じ修道院に埋葬されている。
 
== 参考文献 ==
*[[トゥールのグレゴリウス]](著)、杉本正俊(訳)『フランク史 10巻の歴史』 [[新評論]]、2007年
*[[鈴木康久]][[西ゴート王国]]の遺産』 [[中央公論新社]]、1996年
 
<small>以下は日本語訳にあたり直接参照していません。</small>
37,316

回編集