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ドイツ帝国消滅後の1919年、フランスに復帰したフォルバックは、[[マジノ線]]の建設で軍事的重要性が薄れていた。戦後の荒廃でコミューンは苦しみ、世界的な経済危機、過激派の台頭が追い討ちをかけた。
 
[[第二次世界大戦]]では、ドイツ[[第三帝国]]がモゼルを併合し、コミューンの運命は下降した。フォルバックの男性は[[ドイツ国防軍]]や[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]の軍事部門に徴兵され、[[マルグレ=ヌー([[:fr:Malgré-nous]]と呼ばれた。また別の者は第三帝国の工場へ送られた。ナチス権力のくびきに苦しまない者はなかった。
 
1944年9月、[[ナンシー]]と[[ヴェルダン]]が解放され、同年11月の激しい戦いの後にはメスが解放された。一方フォルバック住民は、その年の冬を自分たちで掘った穴や隠れ家で過ごさなければならなかった。1945年3月14日、恐ろしい戦闘の結果、苦難と絶望そして犠牲を強いられた5年以上の年月が終わりを告げ、フォルバックは解放された。