「田中康夫」の版間の差分

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[[2004年]]1月のインタビュー取材で、長野県を'''信州'''と改称することを検討していると発表。改称の理由として、「[[道州制]]に先立って州を作る」、「観光などでは信州という名前のほうが有利」などを挙げた。以降、[[ウェブサイト]]や自己紹介などでは、「信州・長野県知事」と名乗っていた(これ以降、長野県の[[公式ウェブサイト|公式サイト]]でも「長野県知事の田中康夫です」から「信州知事の田中康夫です」と書き換えられた)。
 
実際に「信州」の愛称を常用する人も多く、数々の「信州ブランド」があるものの、背景としては、中南信県民(田中自身も少年時代を[[松本市]]で過ごしている)が、「長野県」を「長野」と略称することを好まないことがある。このことを示すかのように、[[2003年]][[9月26日]]に[[住民票]]を[[長野市]]から[[下伊那郡]][[泰阜村]]に移している。この問題は訴訟に発展し、[[2004年]][[11月18日]]には同村の選挙人名簿に登録したことの適否に関する[[裁判]]で、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が上告を棄却し、田中は敗訴した。長野市の住宅を退去して、泰阜村、両親宅がある[[軽井沢町]]から通勤していた。また、2004年[[12月2日]]に、[[北佐久郡]][[軽井沢町]]へ住民票を移転した。
 
==== 同和対策事業の見直し ====