「白老郡」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Luckas-bot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.2) (ロボットによる 追加: it:Distretto di Shiraoi
編集の要約なし
10行目:
 
== 沿革 ==
[[江戸時代]]の白老郡域は[[蝦夷地|東蝦夷地]]に属し、[[松前藩]]によってシラヲイ[[場所]]とアヨロ場所([[虎杖浜]])が開かれていた。幕命により[[近藤重蔵]]が蝦夷地調査をした際秘書役として択捉島探検に同行した木村賢次の「蝦夷日記」にも記されていることから[[寛政]]10年には[[白老八幡神社]]の前身である[[弁財天|弁天社]]が存在していたことがわかる。陸上交通は、[[渡島国]]の[[函館市|箱館]]を基点とし[[道東]]や[[千島国]]方面に至る陸路([[札幌本道]]や[[国道36号]]の前身)が東西に通じていた。
 
[[江戸時代#江戸時代後期|江戸時代後期]]、国防のため寛政11年白老郡域は[[天領]]とされたが、[[文政]]4年には一旦松前藩領に復したものの、[[安政]]2年再び天領となり[[仙台藩]]が白老に[[陣屋]](元陣)を築き警固をおこなった。[[万延]]元年8月誉田別神を勧請し、弁財天社は白老八幡神社と称するようになる。[[戊辰戦争]]([[箱館戦争]])終結直後の[[1869年]][[8月15日]]、[[大宝律令]]の[[国郡里制]]に倣い白老郡が置かれる。[[北海道 (令制)|北海道]][[胆振国]]に含まれた。[[明治]]2年[[8月17日]]から明治4年8月の[[廃藩置県]]まで[[一関藩]]の所領であった。