「雲林院」の版間の差分

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鎌倉時代に入って衰退したものの、[[1324年]]([[正中 (日本)|正中]]元年)に復興され、大徳寺付属の子院となった。以後は禅寺となったが、[[応仁の乱]](1467年-1477年)の兵火により廃絶してしまった。
 
現在の雲林院は、[[1707年]]([[宝永]]4年)にかつての寺名を踏襲し、大徳寺の[[塔頭]](たっちゅう)として建てられたものである。境内に本堂はなく、堂宇(どうう)として同年に再建された観音堂が残る。ここには、十一面千手観音菩薩像、大徳寺開山大燈国師像が安置されている。
 
門前の駒札には、僧侶であり、歌人として知られた[[西行]]の詠んだ歌が記されている。
かつて雲林院境内にあった大徳寺塔頭の[[真珠庵]]に「紫式部産湯の井戸」がある。[[紫式部]]はこの周辺で生まれ育ったとされ、その名も、雲林院の建つ紫野に由来するといわれている<ref>[http://www.hal-kyoto.com/ki/kyosikai/q_and_a/unrinin/index.html 京都の史跡Q&A 雲林院(うんりんいん)について教えてください。]</ref>。
 
『[[源氏物語]]』五十四帖の巻の一「[[賢木]](さかき)」に、雲林院が登場する。[[光源氏]]が籠もり、天台宗六十巻を読みすすめる。亡き母・[[桐壺更衣|桐壺の更衣]]の兄も籠って修行する。源氏が[[朧月夜 (源氏物語)|朧月夜]]との禁断の恋に落ちたのも雲林院であった。
 
紫式部自身の墓所も雲林院近くに置かれ、彼女が生涯を通じてこの雲林院に親しんでいた様子が伺える。
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