「ミラクルパワーコンビ」の版間の差分

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* ライバルである[[ジャンボ鶴田]]は、ミラクルパワーコンビと[[ロード・ウォリアーズ]]のどちらが強かったかというファンからの質問に対して、ミラクルパワーコンビの方が強かったと答えている<ref>週刊ゴング 平成15年3月22日増刊号 プロレスBESTタッグチーム「名勝負100」</ref>。
また、当のブロディ、ハンセンはシングルプレイヤーとしても突出している自分たちと、タッグチームとしてのみ存在価値を持っているロード・ウォリアーズでは比較にならないとコメントすることが多かった{{要出典|date=2009年10月}}。また[[天龍源一郎]]も「ミラクルパワーコンビはレスリングも出来たし、30分、1時間といった試合も十分こなせた。だがウォリアーズにはそれは出来なかっただろう」と語っている{{要出典|date=2009年10月}}。
* 日本におけるこのコンビの入場テーマ曲は両者ハンセンテーマ曲「サンライズ」とブロディの「移民の歌」を合体(何度も交互に流れるように編集)させたものであり、「ミラクルパワーコンビのテーマ」「超獣コンビのテーマ」などと呼ばれた。また、二人とも同格であるということを意識して、リング・アナウンサーによる選手紹介の順番は必ず日替わりでどちらかが先に呼ばれることになっていた(通常、タッグでは最後に紹介される選手がチームリーダーであることが慣例)。
* ミラクルパワーコンビの試合を数多く裁いた[[レフェリー (プロレス)|レフェリー]]の[[ジョー樋口]]によると、ブロディがこのコンビの指令塔だったという{{要出典|date=2009年10月}}。だがブロディは親友であるハンセンの「[[ラリアット|ウエスタン・ラリアット]]」の方が自分の「キングコング・ニードロップ」より知名度は上と認めており、フィニッシュをハンセンに譲ることが多かった。
*全日本プロレスでは、[[1988年]]8月に開催した[[日本武道館]]大会の対戦カードを一般から募集しており、シングルで1位となったのが「ハンセン対ブロディ」であったが、ブロディ急忌により幻となった。代替としてハンセンは、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]と一騎打ちをおこなった。ブッチャーはブロディ同様のチェーンを帯同し入場、ハンセンはミラクルパワーコンビのテーマで入場した。ハンセンの入場テーマである「サンライズ」からブロディの入場テーマであった[[レッド・ツェッペリン]]の「移民の歌」にチェンジした瞬間、場内にブロディコールが爆発した。なお、来賓として、ブロディ夫人と息子が来日し、リングで挨拶も行った。
 
== 脚注 ==