「大和言葉」の版間の差分

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'''大和言葉'''(やまとことば)とは、平安時代において古くは[[和歌]]や[[雅語]]、[[女房言葉]]のことを[[意味]]したが、現在ではもっぱら[[日本語]]の[[語種]](単語の出自)の一つであり[[漢語]]や[[外来語]]に対する[[日本]]の[[固有語]]を指す。
 
== 概要 ==
現在「大和言葉」といえば一般には、[[漢語]]と[[外来語]]を除いた日本語の固有語を指すようになっている。また「'''和語'''」もこの意味で扱われることが多いが、学術上では区別されることもある。すなわち、「大和言葉」といった場合には日本(やまと)に[[中国大陸|大陸]][[文化]]が伝来する以前の、[[日本列島]]で話されていた言語そのものを指すというニュアンスがあるのに対し、「和語」とは、漢語・外来語とともに、[[語彙]]の種別を表す用語としての側面が強調される。
 
ただし後述するように、「やまとことば」という語は平安時代に古くは「和歌」の意味で用いられ、また「女房言葉」の意味で用いられることもあった。
 
== 大和言葉の特徴 ==
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また[[合成語]]が作られる際、前の語の[[母音]]が変化することがある。き + たつ(木 + 立つ) → こだち(木立)、さけ + たる(酒 + 樽) → さかだる(酒樽)など。ただし、必ずしも「き」や「さけ」などが古い形とは言えない。
 
== 大和言葉と漢字 ==
大和言葉は隣国の中国から漢字を借り入れたことによって微妙な意味の差を漢字で表現できるようになった。例えば、「なく」を漢字で書くと、「泣く」、「啼く」、「鳴く」のどれかを使うことによって微妙な意味の差を表現できる<ref>{{Cite book|和書|author=山口仲美|authorlink=山口仲美|title=日本語の歴史|origdate=2006-05-19|accessdate=|edition=初版|publisher=[[岩波書店]]|series=[[岩波新書]]
|isbn=4004310180|pages=p. 211}}</ref><ref>『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』 215頁。</ref>。一方で、中国文学者の[[高島俊男]]は、大和言葉に漢字を当てるのはおかしく、例えば、「とる」の意味は大和言葉では1つなのであり、「取る」、「採る」、「捕る」、「執る」、「摂る」、「撮る」と書き分けるのはナンセンスであると主張している<ref>{{Cite book|和書|author=高島俊男|title=[[漢字と日本人]]|origdate=2001-10-20|accessdate=|edition=初版|publisher=[[文藝春秋]]|series=[[文春新書]]|isbn=4166601989|pages=pp. 86-88}}</ref>。
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[[民俗学者]]の[[柳田國男]]は、大和言葉にどのような漢字を書くのか尋ねることを「'''どんな字病'''」と名付け、警告した<ref>『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』 15頁。</ref>。最近はパソコンですぐに難しい漢字が出てくるためになおさら安易に漢字を多用する傾向があるといわれている<ref>『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』 215-216頁。</ref>。
 
[[日本文学研究者|国文学者]]の[[中西進]]は、漢字依存が大和言葉のもつ本来の意味を失わせてしまい、例えば、「かく」に「書く」、「描く」などと漢字を変えて区別するようになったことにより、[[縄文式土器]]を製作する際、柔らかい粘土を先の尖った物で引っ掻いて模様を描くことからわかるように、掻いて表面の土や石を欠くという「かく」の本来の意味がわかりにくくなったと指摘している<ref>『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』 216-217頁。</ref>。<!--
 
== (参考)同義の外来語 ==
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* ちしゃ/苣・乳草 → レタス (lettuce)
* ちち/乳 → ミルク (milk)
* つけぶみ・こいぶみ/付文・恋文 → ラブレター (love letter)-->
 
== 古い文献での用例 ==
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桐壺の更衣に先立たれた帝が、[[白居易]]作の『[[長恨歌]]』の内容をあらわした絵を明け暮れ眺めていたということであるが、ここではその絵に添えられた和歌を「大和言の葉」と称している。これはこの文脈であれば「言の葉」だけでも和歌の意味で通じるが、「唐土の歌」すなわち[[漢詩]]と対照させるための表現である。つまり、日本のものであろうと唐土のものであろうと、ということである。<!--『[[古今和歌集]]』の仮名序にはその冒頭に、「やまとうたは人の心をたねとして」とあり、その文中で漢詩を「からのうた」と称しているのも、「から」(唐)に対する「やまと」(日本)固有のものであると主張するために、このように表現している。-->このように平安時代までの「やまとことば」という語には「日本語で使われてきた固有語」という意味の用例はない<ref>「固有語」や「和語」の意味で『日本国語大辞典』(第2版)に挙げられた用例はすべて中世以降のものである。</ref>。なお、現在「やまとことば」と同意義とされる「和語」についても、やはり「和歌」の意味で使われた例が見られる。
 
しかし時代が下ると、「やまとことば」は「和歌」という意味から転じて「雅語」の意味で使われるようになり、さらに[[宮中]]や[[幕府]]などの上流階級の婦女子が使う言葉を指すようになる。これを「[[御所言葉]]」(女房言葉)ともまた「女中詞」とも称した。この雅語や女房言葉を意味する「やまとことば」に関わるものとして、[[室町時代]]末期か近世のごくはじめには成立していたといわれる『大和言葉』という辞書がある。これは本来和歌や[[連歌]]を詠む際の雅語を集めたものであったが、次第に女性が使う言葉の用例、すなわち女房言葉を集めた教養書として女性に読まれるようになった。後にこの『大和言葉』の内容を増補した『増補大和言葉』というものも出版されており、[[江戸時代]]末期に至るまで版を重ねている。
 
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{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*『江戸期女性語辞典』-木村晟編(2006年、港の人)
*{{Cite book|和書
|author=中西進
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|isbn=9784093874526
}}
*木村晟編 『江戸期女性語辞典』-木村晟編(2006年、 港の人、2006年
 
== 関連項目 ==