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壮年期(紀元前464ー461年、36歳頃ー39歳頃)に彼は、当時急速にギリシア文化の中心に成りつつあった[[アテナイ]]に移り住んだ。その地で彼はおよそ30年の歳月を過ごすことになる。アテナイの政治家[[ペリクレス]]は彼を敬愛し褒め称えた。また詩人の[[エウリピデス]]の科学と人間愛に対する熱意は彼に導かれたものである。
アナクサゴラスは、イオニアの哲学と科学的探求の精神を、アテナイへともたらした。彼は[[天体]]や[[隕石]]の観察から、宇宙の秩序に対する新しい説を提唱した。彼は[[日食]]、[[月食]]、[[流星]]、[[虹]]そして[[太陽]]に対する科学的な説明を試みた。太陽は燃え盛る巨大な石の塊であり、[[ペロポネソス半島]]よりも大きいという説を唱えた。また彼は、月が太陽の光を反射して光っていると唱えた最初の人物でもある。月には山があるとも唱えており、人が住んでいると考えていた。また彼は、天体は地球から分裂した巨大な石の塊であり、高速の回転によって燃えているのだと主張した。星も太陽と同様に燃え盛る石の塊であるにもかかわらず、私たちがその熱を感じないのは、星々が地球からとてつもなく遠くに離れているためであると説明した。また彼は、地球は平坦であり、その下にある「強い」空気によって支えられて浮かんでいて、この空気の乱れが地震の原因であると考えた。しかしこれらの考察のため、アテナイの人々は彼を不敬の罪で攻め立てるようになる。[[ディオゲネス・ラエルティオス|ディオゲネス]]の伝えるところでは、[[クレオン (政治家)|クレオン]]によって不敬の罪で訴えられたとある。一方[[プルタルコス]]によれば、[[ペロポネソス戦争]]での失策を受けてアテナイ市民から批判を受けていた[[ペリクレス]]が、自らの保身のためにアナクサゴラスを[[ランプサ
[[ディオゲネス・ラエルティオス|ディオゲネス]]によると、紀元前450年頃(50歳頃)アナクサゴラスの裁判の際に[[ペリクレス]]が彼を弁護したとあるが、それでもアナクサゴラスは、[[アテナイ]]から[[トローアス]]の
アナクサゴラスは哲学に関する一冊の本を書いたが、6世紀に[[キリキア]]の[[シンプリ
==宇宙論==
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