「ロベール・エティエンヌ」の版間の差分

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== 死後の評価 ==
1559年にステファヌスは死去するが、そのギリシア語訳聖書は多くの神学者や聖書翻訳者に影響を与えた。[[カルヴァン]]の後継者である[[ベザ]]がステファヌスのギリシア語訳聖書の第四版とほぼ同じのギリシア語聖書を、1565年から1604年<ref>ベザの死後の、1611第10版が出版された</ref>にかけて、九つの版出版した。ベザのギリシア語聖書は1611年の英国[[ジェームス1世 (イングランド)|ジェームズ1世]]の[[英語欽定ジェームズ王聖書]](King James Version)の底本になった。
 
1624年に[[オランダ]]の[[ライデン]]印刷業者の[[エルセフィル]]兄弟が小型のギリシア語聖書を出版した。これは、ベザのギリシア語聖書を基本にしている。1633年には、「すべての人に受け入れられた本文(Textus Receptus)」と書かれた。ステファヌス、ベザ、エルセフィル兄弟たちのギリシア語聖書が「唯一かつ真正の本文」になり、公認定本(テクステトゥス・レセプトゥス)という名称が生じた。以降1881年まで、プロテスタントの主要なヨーロッパ語訳は公認定本を底本にしている。<ref>[[ブルース・メッツガー|B・M・メッツガー]]『新約聖書の本文研究』p.122-p.123</ref>