「福島第一原子力発電所」の版間の差分

 
==== 僻地での立地 ====
また、このような僻地に発電所を設置した技術的な理由は、当時の日本の原子力発電所設置の考え方として「万一の原子炉設備の破壊事故により[[放射性物質]]の大気拡散時に周辺公衆に重大な[[災害]]を及ぼさない」ため「発電所敷地を高い人口地帯から出来るだけ離すことを必要」としたからであった{{Sfn|一木忠治|1969|p=26}}<ref group="注">[[東海村]]の原発敷地は例外で、人口密集地である[[水戸市|水戸]]や[[日立市]]が20km圏内にすっぽり入る位置である。</ref>。
 
この用地取得が迅速に進んだ背景として原子力産業会議は
#開発後進地域で現地当事者の希望が大であった
#1957年に大熊では早稲田大学・東京農業大学への委託で開発総合調査を実施しており、自主的に地域開発への歩みを進めていた上、部落も第二次世界大戦中に旧来のものを細分化して行政下部機関として改組した
#隣接地区では精農家が多く、生産意欲が大きいため反対機運があったが、当地区では開拓農家が主体で生産力・定着力共に低かった
#買収地区に一会社の遊休地が含まれていた
 
を挙げているが{{Sfn|大熊町史編纂委員会 編.|1985|p=837}}、『大熊町史』では上記を取り上げた上で、次のような反論を掲げている事を付記しておく。
匿名利用者