「アレクサンドロス5世」の版間の差分

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== 生涯 ==
アレクサンドロスは、[[カッサンドロス]]と[[アレクサンドロス大王]]の異母妹である[[テッサロニ]]との末子(三男)である。<ref name="DGRBM">{{cite encyclopedia | last = Elder | first = Edward | authorlink = | title = Alexander | editor = William Smit | encyclopedia = Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology | volume = 1 | pages = 115 | publisher = Little, Brown and Compan | location = Boston | year = 1867 | url = }}</ref>。彼は[[マケドニア王]]として兄の[[アンティパトロス2世]]とともに紀元前297年から紀元前294年の間、国を共同統治していたが、アンティパトロス2世が母親を殺害し、アレクサンドロスは王位を奪われてしまったため、[[ピュロス]]と[[デメトリオス1世 (マケドニア王)|デメトリオス1世]]に助けを求め、王位を奪い返そうとした。
 
歴史家の[[プルタルコス]]によれば、ピュロスには同盟の見返りに[[アンブラキア]]地方、[[アカルナニア]]地方、[[アンフィロヒア]]地方とともに、マケドニアの海岸地帯を与えることを約束した<ref>プルタルコス, 『ピュロス』 p. 386, b</ref>。一方、デメトリオスはピュロスが撤退し、アレクサンドロスとアンティパトロスの間で和解が成立した後に到着したため、もはや厄介な存在となっていた。そのためアレクサンドロスは表向きは彼を温かくもてなしたが、晩餐会の間に彼を暗殺する計画を立てていたという。しかし、計画はデメトリオスの予見により妨害された<ref>[[プルタルコス]],『デメトリオス』 906, a. b</ref>。翌日、デメトリウスが出発すると、アレクサンドロスは[[テッサリア]]まで彼に付き添い、到着後の[[ラリッサ]]で食事を共にした。そして警備を付けていなかった彼は、同伴していた彼の友人と共にそこで暗殺された<ref>[[ユニアヌス・ユスティヌス]], xvi. 1</ref><ref>[[シケリアのディオドロス]], xxi. Exc. 7</ref>。