「サッカーチェコスロバキア代表」の版間の差分

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=== チェコスロバキア代表の最後 ===
76年の欧州選手権の後、チェコスロバキア代表は徐々に下降線をたどる事になった。[[モスクワオリンピックにおけるサッカー競技|モスクワオリンピック]]では金メダルを獲得したものの、この大会は西側諸国の多くがボイコットした大会で、キューバなどサッカー後進国などが混ざっていたトーナメントの結果獲得したメダルとあっては、その金色も色あせるような大会の内容であった。しかし、サッカーといえども地政学的・歴史学的な見地からの分析を免れるものではなく、歴史的事実のひとつであるとして後藤健生などは国際的教養を生かし論じている
 
1980年代に入ると、西欧諸国と肩を並べて選手権を争うのは段々と難しくなっていった。1989年11月の[[ビロード革命]]で民主化したチェコスロバキアでは、連邦政府からチェコ共和国(旧チェコ社会主義共和国)およびスロバキア共和国(旧スロバキア社会主義共和国)への権限委譲が急速に進められた。さらに経済政策面から連邦制の解消を目指す政党がチェコ、スロバキア両国で第1党となった結果、[[1992年]]7月に連邦制解消が合意され、[[1993年]][[1月1日]]の[[ビロード離婚|連邦制解消]]を定めた連邦制解消法が1992年11月にチェコスロバキア連邦議会で可決成立した。