「ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ」の版間の差分

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{{大言壮語|date=2012年6月}}
{{サッカー選手
|名前=ルシオ
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|所属チーム名={{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC]]
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]
|背番号=2
|利き足=右足
|クラブ={{flagicon|BRA}} [[SCインテルナシオナル]]<br>{{flagicon|GER}} [[バイエル・レバークーゼン]]<br>{{flagicon|GER}} [[バイエルン・ミュンヘン]]<br>{{flagicon|ITA}} [[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル・ミラノ]]<br>{{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC]]
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2002-03シーズン以降レバークーゼンは成績を落とし、ルシオには国内外のビッグクラブへの移籍話が尽きなかったが、[[2004年]][[7月1日]]にドイツの名門[[バイエルン・ミュンヘン]]へ移籍した。バイエルンでは監督や戦術の変更が何度もあったが、レギュラーとしてDFラインを支え続けた。バイエルンでは副キャプテンを任され、時にはキャプテンマークを着けることもあった。2008-09シーズンの終盤には怪我人が出た影響から、右サイドバックで起用された<ref>{{Cite web|author=fcbayern.com|date=2009.5.14|url=http://www.fcbayern.t-com.de/jp/news/news/2009/19516.php|title=ハインケス、チームスピリットを重視|accessdate=2009.7.16}}</ref>。バイエルンではブンデスリーガで145試合に出場し、2冠を3回達成した。[[2009年]]6月、[[FIFAコンフェデレーションズカップ]]を戦っている最中にバイエルンから突然戦力外通告を受け<ref name="footballista">footballista、ソルメディア、2010年6月24日号、38-39頁</ref>、[[7月16日]]に[[セリエA (サッカー)|イタリア]]の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]に3年契約で移籍した<ref>{{Cite web|author=uefa.com|date=2009.7.16|url=http://jp.uefa.com/competitions/ucl/news/kind=1/newsid=846970.html|title=ルシオがバイエルンからインテルへ|accessdate=2009.7.16}}</ref>。なお、ルシオは敬虔なクリスチャンとして知られ、このコンフェデレーションズカップには自費で神父を帯同させた<ref name="footballista" />。
 
2012年7月、ルシオはインテルとの契約を解消。インテルの最大のライバルの[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]に2年契約で移籍が決定した。
 
=== 代表 ===