「サルヴァトーレ・シャリーノ」の版間の差分

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1970年代には「大室内ソナタ(1971)」、「アスペレン組曲(1979)」などの代表作を次々と発表し、名声を確立する。どれが背景でどれが効果音でどれが旋律で、といった音響の分類を沈黙が常に否定するのは、シャリーノの全創作時期を通じて不変である。普通に知られている奏法すら聞いたこともない音に聞こえるのは、その音の周りが全て特殊奏法であるため、などといった効果も多用される。この時期のイタリアの現代音楽は、予想以上に秘匿主義が徹底しており、LP化されることもなければ再演すら稀と言う時代であった。そのせいもあって、この時期の作品は録音が極めて少ない。
 
シャリーノはデビュー当時は不確定性を消極的に使用(「プレリュード」は音名の指示がない)していたが、程なくして確定楽譜に収まった。「ソナタ第1番」ではショパンのノクターンの第2番の結尾直前の音型とラヴェルの「夜のガスパール」のダブルトリルを抽出して、飽きるまで繰り返される。
 
=== 第二期(1980 - 1991) ===
[[新ロマン主義]]が流行すると、早速彼はソプラノ、チェロ、ピアノの為の「ヴァニタス(1981)」でストレートな三和音、半音階進行、グリッサンドなどを投入した。既に「アナモルフォジ(1980)」の時点で[[ラヴェル]]の作品を引用していたが、彼は調性的な音色の使用を短所とみなさず、むしろ新たな未聴感としてとらえた。「ソナタ第1番」ではショパンのノクターンの第2番、「ソナタ第2番」ではラヴェルの「[[夜のガスパール]]」の音型を全曲に渡って埋め尽くし、反復の乱用によって聴き手を一種の飽和状態に陥れる。「夜に」ではラヴェルの前述の作品のストレートな引用だが、「ソナタ第2番」ではイディオムのみの抽出であるため、引用元がわかりにくい、というのも彼の第一期から得意とした作曲技法である。
 
80年代はフルートを中心に様々な特殊奏法が生まれた。「用いられていない運指を使って擬似トレモロ」、「舌をマウスピースに叩きつけるタングラムでパルス」、「ホイッスルトーンをアンブシュアの位置によって音色成分を変える」など、従来のフルート音楽の常識を様々に塗り替えた。現在ではシャリーノのオリジナルがフルート音楽の常識として捉えられるまでに至っている。シャリーノは飽きることなくフルートに拘り続けており、2012年以降も新作を生み出す意向があるらしい。作品リストに編曲が増えだすのはこの頃からであり、それと同じくして他者の楽曲の引用が姿を消してくる。
 
この時期に書かれたピアノのための「ソナタ第3番」では、無限ループ状にした素材から感覚的に部分を抜き取るなどのユニークな構成法が光っている。しかし、[[ルイジ・ノーノ]]の死はシャリーノに大きな打撃を与え、この時期以降厭世的な音楽を多作するようになった。1991年に[[パドヴァ大学]]の[[コンピューター]]を駆使して作曲し、[[シュトゥットガルト]]で初演された[[オペラ]]「ペルセウスとアンドロメダ」は[[伴奏]]の[[オーケストラ]]がなくコンピューターだけで伴奏するが、歌手と合わせるために[[指揮者]]は存在する。電子楽器を用いたこれは非常に例外的なケースであり、シャリーノはほとんど生楽器で真価を発揮する作曲家である。