「西ノ海嘉治郎 (初代)」の版間の差分
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{{Infobox 力士
[[Image:Nishinoumi Kajiro I.jpg|thumb|初代西ノ海]]▼
|名前 = (初代)西ノ海 嘉治郎
|説明 = 土俵入りを行う(初代)西ノ海嘉治郎
|四股名 = 西ノ海 嘉治郎
|本名 = 小園 嘉次郎
|愛称 = 泉川関・藩閥横綱・高砂部屋三羽烏
|生年月日 = 1855年2月19日
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1855|2|19|1908|11|30}}
|出身 = [[薩摩国]]高城郡<br/>(現・[[鹿児島県]][[薩摩川内市]])
|身長 = 176cm
|体重 = 126kg
|BMI =
|所属部屋 = 鯨波部屋(京都)→[[高砂部屋]]
|得意技 = 泉川、寄り
|現在の番付 = 引退
|最高位 = 第16代[[横綱]]
|生涯戦歴 =
|幕内戦歴 = 127勝37敗25分4預97休
|優勝 = 優勝相当成績2回
|賞 =
|初土俵 = [[1882年]]1月場所(幕内格付出)
|新十両 =
|入幕 =
|引退 = [[1896年]]1月場所
|引退後 =
|他の活動 =
|趣味 =
|備考 =
|作成日時 = 2012年7月17日
}}
'''西ノ海 嘉治郎'''(にしのうみ かじろう、[[1855年]][[2月19日]]- [[1908年]][[11月30日]])は、[[薩摩国]]高城郡(現・鹿児島県薩摩川内市)出身の元[[大相撲]][[力士]]。本名は'''小園 嘉次郎'''(おぞの かじろう)。
== 来歴 ==
豪放磊落な性格で知られ、強豪との取組を前にしても支度部屋で高いびきをかいていたとされる。[[泉川]]を得意とした。▼
農家の長男で、子供の時から薩摩国の土地相撲で活躍して京都相撲に加入、[[小結]]まで昇進したが、[[1881年]]に高砂改正組の巡業に参加した後に東京の[[高砂部屋]]へ入門した。[[1882年]]1月場所に西の海として[[初土俵]]を踏む。同年6月場所から西ノ海嘉治郎(初代)を名乗り、[[1885年]]に大関へ昇進する。2場所務めた後に一度小結まで陥落するが、負け越しによる陥落ではないため、全くの興行上の都合だった。
[[1890年]]に大関へ復帰し、その場所後に[[吉田司家]]から横綱免許を授与される。新横綱の場所となった1890年5月場所は成績では張出大関並みだったものの、西ノ海自身が張出となることに対して不満を表明したため、番付に相撲史上初めて「'''横綱'''」と明記された<ref>西ノ海は引退する[[1896年]]1月場所まで12場所、番付上は全て張出されている。</ref>。これ以降、「横綱」は名誉ではなく地位として見なされていくようになる。
引退後は[[年寄]]7代[[井筒]]を襲名。独立して[[井筒部屋]]を興し、横綱[[西ノ海嘉治郎 (2代)|2代西ノ海]]、大関[[駒ヶ嶽國力|駒ヶ嶽]]、[[大江山松太郎|大江山]]、関脇[[逆鉾与治郎|逆鉾]]を育成した。鹿児島出身だったことから、同県出身の若者の多くがその後も[[井筒部屋]]の門を叩いている。▼
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== 人物 ==
▲堅太りで筋骨隆々・豪放磊落な性格で知られ、強豪との取組を前にしても支度部屋で高いびきをかいて寝ていたとされる。[[泉川]]を得意とした。
== 主な成績 ==
* 幕内通算成績:29場所127勝37敗25分4預97休 勝率.774
* 幕内最高優勝:2回(優勝相当成績)
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[横綱一覧]]▼
▲*[[横綱一覧]]
{{歴代横綱|第16代|1890年3月 - 1896年1月}}
{{sumo-stub}}
{{DEFAULTSORT:にしのうみかしろう}}
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