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[[ファイル:MTR_System_Map_2008.png|thumb|right|300px|[[2009年]][[8月]]時点のMTR路線図]]
'''東鉄線'''(とうてつせん)は、[[中華人民共和国]][[香港|香港特別行政区]][[九龍]]の紅{{Lang|zh-hk|磡}}(ホンハム)駅と[[新界]]の羅湖駅を結ぶ[[香港鉄路有限公司 (企業)|香港鉄路]]([[香港MTR|港鉄(MTR)]])の[[鉄道路線]]である。元'''九広鉄路(英段)'''および、'''九広東鉄'''。
 
東鉄線の支線としては、沙田駅から分岐する馬場支線と上水駅から分岐する落馬洲支線がある。また大囲駅から分岐する[[馬鞍山線]]についても、東鉄線の支線といえる。
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開通当初は起点から終点まで[[直通運転]]されていた九広鉄路だが、[[1949年]]の[[中華人民共和国]]政府の樹立により国境の深{{Lang|zh-cn|圳}}河の両サイドには[[羅湖駅 (香港)|羅湖駅(Lo Wu)]] と[[深セン駅|深{{Lang|zh|圳}}駅]]が設置され、この間には出入境手続き([[イミグレーション]])の施設[羅湖口岸]が設けられた。その為、路線はこの両駅が香港側と中国側の終点となり、九広鉄路は事実上分断されてしまった(ただし貨物列車は間もなく[[直通運転]]を再開した)。現在九広鉄路は、羅湖と深{{Lang|zh-cn|圳}}を境に香港側のかつて英段と呼ばれていた部分を[[香港鉄路有限公司]]が、中国側の「華段」と呼ばれていた部分は、[[中華人民共和国鉄道部|中国国鉄]]として国有化された後、[[1990年代]]に民営化され、現在は'''広深鉄路股份有限公司'''('''Guangshen Railway Company Limited''')が運営している。中華人民共和国側では広深線、或いは広深鉄路、と呼ばれる。
 
香港側では、[[1975年]]に始発駅の[[九龍駅]]が九龍半島東側の[[紅カン|紅{{Lang|zh|磡}}]]((Hung(Hung Hom)地区へ移転した後、[[1998年]]に[[香港MTR|MTR]][[機場快線]](エアポートエクスプレス)が開通して機場快線「九龍駅」が開業したのに合わせて[[紅カン駅|紅{{Lang|zh|磡}}駅]]と改称された。1978年には紅{{Lang|zh|磡}}~広州間で旅客列車の直通運転が再開された。1983年、香港側が電化され、それまでディーゼル機関車が客車を牽引していた路線には通勤電車が走る様になり、沿線は超高層アパートが立ち並ぶベッドタウンとして開発された。
 
[[2004年]][[10月24日]]には、紅{{Lang|zh|磡}}駅よりかつて九龍駅のあった尖沙咀まで路線が地下線として延伸され、終点は尖沙咀の東に位置する[[尖東駅|尖東駅(East Tsim Sha Tsui)]]となっていた。その後、[[2003年]]に九龍西側の[[南昌駅 (香港)|南昌駅(Nam Cheung)]]まで開通していた[[西鉄線|西鉄線(旧九広西鉄)]]の延伸工事が行われ、[[2009年]][[8月16日]]に尖東駅へ接続され開通。これにより、東鉄と西鉄が一本の路線で結ばれる事となった。また東鉄の起点は紅{{Lang|zh|磡}}駅へと戻った。