「ハンガリー王国の歴史的地域」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
2行目:
'''ハンガリー王国の歴史的地域'''(ハンガリーおうこくのれきしてきちいき)では、[[ハンガリー王国]]([[1000年]] - [[1918年]])において、[[聖イシュトヴァーンの王冠]]の名の下に統合されていた[[東ヨーロッパ]]の地域について記述する。その領域は現在の[[ハンガリー]]のほか、[[オーストリア]]、[[スロバキア]]、[[ウクライナ]]、[[ルーマニア]]、[[セルビア・モンテネグロ]]、[[クロアチア]]、[[スロベニア|スロヴェニア]]にまたがっていた。
 
これらの地域にはハンガリー人([[マジャル人]])が広く居住し、特に[[1867年]]以降の[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の下ではハンガリー政府の統治下に属したが、[[1920年]]の[[トリアノン条約]]で解体されてハンガリー王国領は面積にしておよそ3分の1、現在のハンガリー共和国と同じ範囲に縮小した。そこで、これらの地域を'''大ハンガリー'''、'''聖イシュトヴァーンの王冠の地'''と言うこともある。戦間期の[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー王国]]はこの地域を奪回するために右傾化し、[[ナチス・ドイツ]]とともに[[第二次世界大戦]]に突入していった。
 
特に、現在ルーマニア領となっている[[トランシルヴァニア]]地方はもともとハンガリー王国領であった地で、ハンガリー人が非常に多く住み、ハンガリーとルーマニアの間で領土を巡る問題が1989年の[[東欧革命]]以後しばしば生じており、また民族問題が[[ルーマニア革命 (1989年)|ルーマニア革命]]の発端の一つにもなった。ただ、旧[[ユーゴスラビア|ユーゴスラヴィア]]で生じたような民族紛争が起こる要素はない。