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'''中華革命党'''(ちゅうかかくめいとう)
[[辛亥革命]]後、[[宋教仁]]の暗殺、それに続く[[第二革命]]の失敗により、旧[[中国同盟会]]のメンバーの多くは、日本への亡命を余儀なくされた。また、中国同盟会を受け継いだ[[国民党 (宋教仁)|国民党]]の解散(1913年11月4日に、[[袁世凱]]の解散命令)という状況下で、新しい団体の結成による革命勢力の建て直しが急務となった。
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前述の五四運動を目の当たりにした孫文が、革命エリートではない一般国民による民主化運動の可能性および実効性を十分に認識したことを受けて、1919年10月に、中華革命党は、国民政党である[[中国国民党]]へと発展的に解消(改組・改称)されることになる。
また、機関誌としては、1919年8月に上海で創刊した月刊誌『建設』があるが、この時点は、上記の通り、活動停止宣言後であり、また、創刊後まもなく、1919年10月に中国国民党となり、そこに引き継がれていることから、実質的には、中国国民党の機関紙であるとも言える。
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