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{{出典の明記|date=2012年2月|ソートキー=にしとつけつ____世界史}}
{{基礎情報 過去の国
|略名 = 西突厥
 
==歴史==
''以下の記述は『[[旧唐書]]』(列伝第百四十四下 突厥下),『[[新唐書]]』(列伝百四十下 西突厥)に依るもの。''
===西面突厥===
突厥の[[伊利可汗]](在位:[[552年]])は[[柔然]]から独立すると、[[シルダリヤ川|シル川]]方面に弟の[[室點蜜]](イステミ)を配置し、西方の守備と攻略を任せた。
 
== 政治体制 ==
''以下の記述は『[[旧唐書]]』(列伝第百四十四下 突厥下),『[[新唐書]]』(列伝百四十下 西突厥)に依るもの。''
 
君主は大可汗を頂点に、二人の小可汗を東西に置き、東部は[[亀茲]]国(現在の[[クチャ県]])の北に本拠を置き、西部は[[石国]](現在の[[タシュケント]])の北に本拠を置いた。政治体制は突厥や東突厥と同じで、葉護(ヤブグ:Yabghu),特勤(テギン:Tägin),俟発,乙斤屈利啜,閻洪達,頡利発(イルテベル:Iltäbär),吐屯(トゥドゥン:Tudun),俟斤(イルキン:Irkin),達干(タルカン:Tarqan)などの官職があり、評議して国事をなした。首都である可汗庭は北と南にそれぞれ北庭と南庭を置いた。[[統葉護可汗]](在位:[[619年]]頃 - [[628年]])の時に可汗庭を石国の北の千泉に移した。
 
 
== 地理 ==
西突厥はかつて[[烏孫]]のいた地域(現在の[[カザフスタン]]南部)に在り、東は金山([[アルタイ山脈]])を境に東突厥と接し、西は雷翥海([[アラル海]]?)、北は瀚海([[バルハシ湖]]?)に面し、南は[[疏勒]]国と接した。<ref>『旧唐書』列伝第百四十四下「其國即烏孫之故地,東至突厥國,西至雷翥海,南至疏勒,北至瀚海,在長安北七千里。自焉耆國西北七日行,至其南庭;又正北八日行,至其北庭。」</ref>
 
== 歴代君主 ==
''以下の記述は『[[旧唐書]]』(列伝第百四十四下 突厥下),『[[新唐書]]』(列伝百四十下 西突厥)に依るもの。''
 
=== 西面可汗 ===
#[[室点蜜]](室点密可汗、瑟帝米、イステミ)([[562年]] - [[576年]])…吐務の子、伊利可汗の弟
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