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{{大統領 | 人名=ロランダス・パクサス
| 各国語表記= Rolandas Paksas
| 画像=PresidentRolandas Paksas- horizontali foto.JPGjpg
| 画像サイズ=230px
| 代数 = 第3
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| 没地=
| 配偶者=[[ライマ・パクシエネ]]<br/>(Laima Paksienė)
| 政党=([[祖国同盟]]→)<br />([[リトアニア自由同盟]]→)<br />[[秩序と正義]](旧・自由民主党)
| サイン=
}}
 
'''ロランダス・パクサス'''('''Rolandas Paksas'''、[[1956年]][[6月10日]] - )は、[[リトアニア]]の[[政治家]]。元[[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大統領]](在任[[2003年]] - [[2004年]])。元・[[リトアニアの首相|同国首相]](在任[[1999年]]、[[2000年]] - [[2001年]])。元・[[ヴィリニュス]][[市長]](在任[[1997年]] - [[1999年]]、[[2000年]])。
 
[[1956年]]、リトアニア北部の[[テルシェイ]]に生まれる。[[1984年]]、[[レニングラード]]民間航空アカデミーを卒業する。以後、[[パイロット]]、会社社長を経て、政治家に。[[1997年]]、[[祖国同盟]]から[[ヴィリニュス]]市議会選挙に立候補し当選、[[市長]]となに選ばれる。
 
1999年6月、[[リトアニアの首相|リトアニア首相]]に選出される。しかし、同年10月外資導入をめぐる閣内不統一で総辞職する。12月[[リトアニア自由民主同盟]]代表に就任。[[2000年]]、政策の不一致により自由同盟を離党し、[[秩序と正義|自由民主党]]を結成、党。パクサスはその党首に就任した。再度[[ヴィリニュス]]市長に就任したのち、[[2000年]]10月再び[[リトアニアの首相|首相]]となり内閣を組閣する。[[2002年]]12月に自由民主党から[[2002年リトアニア大統領選挙|大統領選挙]]に立候補、[[2003年]]1月の決選投票で現職の[[ヴァルダス・アダムクス|アダムクス]]候補を破り当選する。
 
しかし、2003年10月には、[[ロシア]]の国際犯罪組織と大統領との癒着を指摘するスキャンダルが発生。2004年3月には、リトアニア憲法裁判所は、国家機密保持などについて大統領の行為を違憲と判断。同年4月に[[セイマス|リトアニア議会]]が大統領弾劾を可決、成立させ、パクサス大統領は辞任に追い込まれた。また、この弾劾により、パクサスは[[セイマス|国会]]議員選挙への立候補が生涯禁じられることとなった。その後、2011年に[[欧州人権裁判所]]はこれを違法と判決している
 
パクサスはその後も自由民主党(のちに[[秩序と正義]]と改名)の党首を務め、[[2009年]]、[[2009年欧州議会議員選挙 (リトアニア)|欧州議会議員選挙]]を経て欧州議会議員に選出された。
 
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