「ジャパン (バンド)」の版間の差分

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その後高校の同級であった[[リチャード・バルビエリ]]を誘い、更にオーディションで[[ロブ・ディーン]]を迎え入れ、デビュー当初のバンドの形態となった。
 
デビュー当初はアイドルとして宣伝されたグループだったが、英国の音楽シーンではほとんど人気が無かった。逆に[[日本]]では初来日でいきなり[[日本武道館|武道館]]での公演を行うなど、[[ビッグ・イン・ジャパン]]的な持て囃され方をされていた。初期のサウンドは主に[[黒人音楽]]や[[グラムロック]]をポスト・パンク的に再解釈したものであったが作品そうしたフリーク的なアプローチ重ね韜晦すごとに耽美的よう作風、退廃的な歌詞や[[シンひねくれたサイザンスやややダウナ]]の利用ど独自のスタイルを構築してい歌詞が特徴であった。
 
[[1979年]]のシングル「Life in Tokyo(ライフ・イン・トウキョウ)」([[ジョルジオ・モロダー]]との共作)を機にシンセポップ路線へ移行し、初期の荒削りなロックサウンドから次第に耽美的な音像を強めていく。3枚目のアルバム「Quiet Life(クワイエット・ライフ)」においては完全にロック色を払拭し、一見ポップなサウンドのなかにカーンのうねるフレットレスベースやバルビエリの抽象的なシンセサウンド、そしてシルヴィアンの頽廃的で内省的なヴォーカルとリリックといった独特のアレンジを加えることで他に類を見ない個性を確立。この頃から本国でも評価を高め始める。
[[日本]]では初来日でいきなり[[日本武道館|武道館]]での公演を行うなど、爆発的な人気を誇ったが、英国ではなかなか人気が出ず、初期は典型的な「[[ビッグ・イン・ジャパン]]」状態であった。
 
[[1979年]]のシングル「Life in Tokyo(ライフ・イン・トウキョウ)」を機にエレクトリック路線へ移行し、3枚目のアルバム「Quiet Life(クワイエット・ライフ)」ではその傾向を一層強めた。この頃から本国でも評価を高め始める。
 
その後、[[Ariola|Hansa]]から[[Virgin Records]]へ移籍し、「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」と「Tin Drum(錻力の太鼓)」をリリース。最後のオリジナルアルバムである「Tin Drum」からのシングル「Ghosts(ゴウスツ)」はバンド最高のヒットを記録した。