「李英浩」の版間の差分

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[[2002年]][[4月13日]]に中将に昇格<ref>中川(2010年)、71ページ</ref>。平壌防御司令官等を経て、[[2009年]][[2月11日]]に朝鮮人民軍総参謀長に就任した<ref>中川(2010年)、71ページ</ref>。
 
[[2010年]][[9月27日]]、朝鮮人民軍最高司令官命令および[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会|国防委員会]]決定により、人民軍次帥に昇格<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100928-OYT1T00108.htm |title= ジョンウン氏、人民軍大将に…世襲路線公式に |work=YOMIURI ONLINE |newspaper=[[読売新聞]] |date=2010-09-28 |accessdate=2012-03-01 |language=日本語}}</ref><ref>中川(2011年)、50ページ</ref>。翌28日の[[朝鮮労働党]]第3回党代表者会において政治局常務委員に選出され、党内序列第5位となる。また、この代表者会で[[金正日]]の後継者として登場した[[金正恩]]とともに新設ポストである党中央軍事委員会副委員長にも選出された。これは軍内における他の年輩実力者を抑えての抜擢であり、李が若輩の正恩を支える軍における中心人物の役割を期待されたものと見なされた。

しかし[[2012年]][[7月15日]]の政治局会議において、病気を理由に政治局常務委員、中央軍事委員会副委員長など全ての党の役職から解任され<ref>{{Cite news
|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120716-OYT1T00234.htm
|title=北朝鮮軍トップ、党職務から解任…正恩氏の最側近
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|date=2012-07-16
|accessdate=2012-07-16
}}</ref>、同時に総参謀長の職も解任された<ref>[http://japanese.joins.com/article/828/155828.html?servcode=500&sectcode=500 北朝鮮 総参謀長に玄永哲氏=李英鎬氏後任]、中央日報、2012年7月18日</ref>。2012年7月20日、[[朝鮮日報]]は解任に際し、李英鎬の護衛兵が反発し、交戦が発生したとの情報を発表した。この戦闘に巻き込まれ、李英鎬が負傷、もしくは死亡した可能性もある<ref>{{Cite news
 
2012年7月20日、[[朝鮮日報]]は解任に際し、李英鎬の護衛兵が反発し、交戦が発生したとの情報を発表した。この戦闘に巻き込まれ、李英鎬が負傷、もしくは死亡した可能性もある<ref>{{Cite news
| url = http://japanese.joins.com/article/950/155950.html?servcode=500&sectcode=500
| title = 「李英鎬解任の過程で交戦…流血事態に」