「アルブレヒト3世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)」の版間の差分

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外祖父のヴィルヘルム2世は息子がなかったため、[[神聖ローマ皇帝]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]に外孫のアルブレヒトの相続許可を求めたが却下された。アルブレヒトの伯父のザクセン選帝侯[[ルドルフ2世 (ザクセン選帝侯)|ルドルフ2世]]と叔父の[[ヴェンツェル (ザクセン選帝侯)|ヴェンツェル]]の影響力が及ぶ事を恐れていたためであり、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国は[[ヴェルフ家#ヴェルフ=エステ家|ヴェルフ家]]の男系子孫が継承する決まりになっていたからである。
 
[[1369年]]にヴィルヘルム2世が死去し、遠縁の[[ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領|ヴォルフェンビュッテル]][[ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル君主一覧|侯]][[マグヌス2世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|マグヌス2世]]が相続したが、アルブレヒトはこれを認めず、叔父のザクセン選帝侯[[ヴェンツェル (ザクセン選帝侯)|ヴェンツェル]]([[1370年]]のルドルフ2世の死後に相続)の後押しを受けてマグヌス2世との戦争を始めた([[リューネブルク継承戦争]])。[[1373年]][[7月25日]]にマグヌス2世を討ち取り、その息子たちの[[フリードリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|フリードリヒ1世]]と[[ベルンハルト1世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|ベルンハルト1世]]らと和睦した。
 
和睦の条件として、リューネブルクはアルブレヒトが領有するが、死後はマグヌス2世の息子たちが継承する事とした。翌[[1374年]]にアルブレヒトはマグヌス2世の未亡人カタリーナと結婚、マグヌス2世の2人の息子[[フリードリヒ1 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|フリードリヒ]][[ベルンハルト1 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|ベルンハルト]]もヴェンツェルの2人の娘アンナ、マルガレーテと結婚した。以後、1385年に亡くなるまでヴェンツェルと共同でリューネブルクを治めた。
 
== 子女 ==