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'''須崎 勝彌''' (''すさき かつや''、[[1922年]][[1月1日]] - )は[[日本映画]]の[[脚本家]]。[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]][[京城]]生まれ。[[鹿児島県]]出身。別名義に'''須崎 勝弥'''。
 
== 経歴 ==
父が[[三菱鉱業]]に勤め京城支社にいる頃に生まれる。1941年、両親が相次いで亡くなったため郷里の鹿児島県串木野に帰る。[[1944年]]に[[東北大学]][[法学部]]を卒業。なお、在学中に[[学徒動員]]で出水海軍航空隊に[[少尉]]で任官。沖縄戦線に出撃するなどをして茨城県百里海軍航空隊で終戦を迎えた。[[1947年]]に[[新東宝]]企画部へ入社し、のちに演出部に移る。1952年の大映映画『明日は日曜日』(監督[[佐伯幸三]]、主演[[若尾文子]])が脚本家デビュー作であった。[[1953年]]に[[大映東京撮影所]]と脚本契約。[[1955年]]に[[東宝撮影所]]と契約。[[1969年]]にフリーとなる。
 
== 代表作 ==
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[[Category:東宝の人物]]
[[Category:大映の人物]]
[[Category:京城出身の人物]]
[[Category:鹿児島県出身の人物]]
[[Category:1922年生]]
 
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