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[[ファイル:Kinhin.jpg|thumb|right|170px|アメリカ観世音禅センターの経行]]
'''経行'''(きんひん、Skt:Cankramana、英:Walking Meditation)は、「歩行禅」「歩行瞑想」ともいわれ、[[坐禅]](冥想)の後または坐禅と坐禅の間の歩行を指す。
 
'''経行'''(きんひん、Skt:Cankramana、英:Walking Meditation)は、「歩行禅」「歩行瞑想」ともいわれ原意は[[坐禅]](冥想)の後または坐禅と坐禅の間一定場所を徒行を指で往復ることである
『[[阿含経]]』に「経行」と訳される所作がしばしば出てくるため、釈尊在世時には既に行われていた修行法の一種。
 
2012年現在の禅宗では、[[坐禅]]に伴う足の痺れや眠気を取り除くため、坐禅と坐禅の間に行うとされている。
 
しかしながら、「歩行禅」「歩行瞑想」の目的もあったとされ、[[ヴィパッサナー瞑想]]の歩行瞑想に該当するのではないかとされる。『[[阿含経]]』に「経行」と訳される所作がしばしば出てくるため、釈尊在世時には既に行われていた修行法の一種である
 
また、[[義浄]]によれば、経行には、病を取り除き、消化を助ける、健康促進の目的もあったとされる<ref>水野榕己「仏教と医学(2)「経行」仏教従事者が担う医学医療」(『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』12、2011年)より</ref>。
 
== 坐る瞑想としての経行 ==
歩行瞑想としての経行とは別に、午後の坐る瞑想としての、「飲食経行」(diva-vihāra)の用法も仏典中に見受けられる<ref>畝部俊英著「『阿弥陀経』における「経行」について」(『真宗研究』47、真宗連合学会、2003年)</ref>。
 
== 朝鮮高麗王朝での経行 ==
[[高麗]]での経行は、朝廷主催の僧俗合同による、鎮護国家の仏教行進行事へと変化し、[[1046年]]より毎年3月に王都で開催されていた<ref>安田純也「高麗経行考」(『朝鮮学報』255、朝鮮学会、2010年)より</ref>。
 
== 日本曹洞宗の場合 ==
[[曹洞宗]]では、一息半歩(いっそくはんぽ)といって、[[爪先]]から踵までの半分の長さを歩幅とし、姿勢を正しつつ前方を俯瞰し、一息ごとに叉手(さしゅ)しながらゆっくりと歩く。
 
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* [[面山瑞方]]著『経行軌』
* 面山瑞方著『経行軌聞解』
* [[ティク・ナット・ハン]]著『ウォーキング・メディテーション - 歩く瞑想の本』(仙田典子訳、[[渓声社]]、1995年)
* 曹洞宗『坐禅のすすめ』(曹洞宗宗務庁教化部、2011年)
 
== 参考文献 ==
* 笹川浩仙「経行について」(『宗学研究』29、1987年)
* 畝部俊英「『阿弥陀経』における「経行」について」(『真宗研究』47、真宗連合学会、2003年)
* 安田純也「高麗経行考」(『朝鮮学報』255、朝鮮学会、2010年)
* 水野榕己「仏教と医学(2)「経行」仏教従事者が担う医学医療」(『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』12、2011年)
 
== 脚注 ==
<references />
 
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