「引田天功 (初代)」の版間の差分

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脱出イリュージョンで日本のマジック界をリードする存在であったが、中年期より[[心筋梗塞]]など重度の[[心臓疾患]]に苦しんだ。晩年は[[催眠術]]にも取り組むなど体に負担をかけずかつ新鮮な芸にも挑戦しながら[[ナイアガラ瀑布]]脱出など、新たな脱出イリュージョンを構想していたともいわれたが自身の病状の進行等の諸事情から果たせず、[[1979年]][[大晦日]]、志半ばで早世。「引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした」「煙を吸い込んで、肺を痛めたのが早世につながった」という噂もあったが、公式の死因発表は心臓病死である。その訃報は出演予定であった翌日([[1980年]]早朝)の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[元日]]特別番組(この番組内で引田の脱出イリュージョンが生放送されることになっていた)で司会を担当していた[[三波伸介 (初代)|三波伸介]]によってお茶の間にも伝えられた。
 
彼の死後、[[1976年]]から引田に師務所し、[[1977年]]には引田後輩だっ代理で「空中ケーブルからの大脱出」をこなしていた若手タレント'''朝風 まり'''が引田の死後、後援会の要請で[[1980年]][[12月15日]]に[[引田天功 (2代目)|二代目・引田天功]]を襲名、プリンセス・テンコーの別名で活躍している。
 
弟子に引田天洋や[[ナポレオンズ]]がいる。