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'''一柳 末礼'''('''ひとつやなぎ すえひろ'''、[[慶安]]2年([[1649年]]) - [[正徳 (日本)|正徳]]2年[[2月13日 (旧暦)|2月13日]]([[1712年]][[3月19日]]))は、[[播磨国|播磨]][[小野藩]]の第3代藩主。父は第2代藩主・[[一柳直次]]。母は[[一柳直家]]の娘。正室は[[太田資宗]]の娘。官位は従五位下。[[土佐国|土佐]]守。[[対馬国|対馬]]守。
 
1649年、江戸で生まれる。名は末礼のほかに直好、直孝、末朝など多数ある。[[1658年]]12月に父が死去したため、翌年に後を継いだ。[[大番]]頭や留守居役、御側衆などを努めた。末礼には4人の子がいたが、全て娘だったため、[[一柳直昌]]を養嗣子として迎えていた。しかしその直昌が自身に先立って早世したため、その直昌の子である[[一柳末昆]]を養嗣子として迎えて後を継がせることにした。1712年2月13日、64歳で死去する。墓所:[[東京都]][[渋谷区]]広尾の祥雲寺。
 
[[Category:江戸の大名|ひとつやなきすえひろ]]
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