「フランス革命の年表」の版間の差分

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*1775年:凶作で飢饉。テュルゴーの自由主義的改革が物価高騰を招き、食糧暴動に発展('''小麦粉戦争'''<ref>([[:fr:Guerre des farines|Guerre des farines]])</ref>)
*[[1776年]]
**5月12日 : 財務総監テュルゴー罷免<ref>後任の財務総監クリュニーは反動政策を行って、テュルゴーの政策をすべて取り消したが、急死する。次の財務総監タブロー・デ・レオーの助手に任命されたネッケルが財務長官として財政の実権を任を握った</ref>
**[[7月4日]] : [[アメリカ独立宣言]]。'''[[アメリカ独立戦争]]'''始まる(〜1783年)
*1777年
*1月24日:全国三部会の選挙規定が発布される(ブルジョワジーに有利な内容、農民や都市平民は排除)
*3月4日:三部会選挙始まる(〜14日)
*4月28日:レヴェイヨン事件<ref>賃金とパンの値段についての失言に端を発した労働者の大規模な暴動で、軍隊が出動し、工場長のレヴェイヨンと家族がバスティーユに避難する事態になった。([[:en:Reveillon riot|Reveillon riot]])</ref>
*[[5月5日]] : 175年ぶりにヴェルサイユで'''[[三部会|全国三部会]]'''が開会
*6月10日:シェイエスが第三身分(平民)は独自行動をとると宣言。「時は来た。錨綱を切れ」
*9月29日 : '''[[最高価格令]]'''(一般最高価格令)制定
*10月5日:国民公会、[[グレゴリオ暦]]を廃止し[[フランス革命暦]](共和暦)を採用
*10月10日 : 革命政府宣言<ref>サン=ジュストが国民公会に提案し「平和が到来するまで革命的である政府」を続けると宣言。ここでいうい”革命的”とは三権の非分立を意味する</ref>
*10月15日〜16日
**ワッチニー会戦<ref>([[:en:Battle of Wattignies|Battle of Wattignies]])</ref>(フランス軍勝利、ネーデルラントでの勝利確実に)
**王妃マリー・アントワネットの裁判と処刑<ref>10月12日から始まったマリー・アントワネットの裁判は、三日間の休廷を挟んで15日に結審し、死刑判決が下された。16日に刑執行されたのは、会戦の日程に合わせるため</ref>
*10月17日:ショレの戦い<ref>ヴァンデ叛徒の[[カトリック王党軍]]大敗。([[:en:Battle of Cholet|Battle of Cholet]])</ref>
*10月31日 : ブリッソーら、ジロンド派議員21名が処刑
[[image:Bonn Freiheitsbaum 1795.jpg|thumb|right|240px|[[ボン]]市の[[自由の木]]]]
[[image:13Vendémiaire.jpg|thumb|right|240px|ヴァンデミエール13日のクーデター]]
[[image:Barras1797.jpg|thumb|right|240px|ギルレー作の風刺画。[[ポール・バラス|バラス]]のために裸で踊る2人の愛人([[テレーズ・カバリュス|テレザ・カバリュス]]と[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ|ジョゼフィーヌ]])]]
[[image:Vendee mort de charette.JPG|thumb|right|240px|ヴァンデ反乱・[[フランソワ・ド・シャレット|シャレット]]将軍の処刑]]
[[image:La Bataille du Pont d'Arcole.jpg|thumb|right|240px|[[アルコレの戦い|アルコレ会戦]]のボナパルト]]
*8月5日:[[カスティリオーネの戦い|カスティリオーネ会戦]]および第二次ロナト会戦
*8月19日:第二次サン・イルデフォンソ条約<ref>フランス・ブルボン家を打倒した革命政府は、その親戚であるスペイン・ブルボン家と、対英同盟を結ぶに至った。これにより革命戦争は革命対反革命というイデオロギーではなく、列強間の国益を巡る争いに戻った。([[:en:Second Treaty of San Ildefonso|Second Treaty of San Ildefonso]])</ref>('''仏西同盟''')
*9月7日:バイエルン選帝[[カール・テオドール (バイエルン選帝侯)|カール・テオドール]]、フランスと休戦条約
*10月5日:スペインがイギリスへ宣戦布告
*11月17日:ロシアの[[エカチェリーナ2世]]が崩御。[[パーヴェル1世]]が即位
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