「細田守」の版間の差分

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*好きな映画監督は[[ヴィム・ヴェンダース]]、[[ビクトル・エリセ]]、[[エドワード・ヤン]]など。『[[ゲゲゲの鬼太郎]]』の113話では『[[ミツバチのささやき]]』の影響を[[乙一]]から指摘され、これを認めている<ref>『PLUS MADHOUSE 3 細田守』より。</ref>。尊敬するアニメ監督では[[杉井ギサブロー]]などを挙げている。また、『[[台風クラブ]]』や[[大林宣彦|大林]]版『[[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]]』、『[[銀河鉄道の夜]]』も名作と評価している。
*学生時代から愛着のある作家として、[[大江健三郎]]と[[寺山修司]]を挙げている<ref>[[新宿ロフトプラスワン]]での『細田守の人生相談PART2』(2009年7月28日)より。</ref>。[[柄谷行人]]や[[吉本隆明]]といった文芸評論家の著書からの影響も公言しており、相当の読書家であることがうかがえる<ref>『[[ブルータス]]』No.677より。</ref>。Twitterでは[[村上春樹]]のスピーチ文を薦めている。
* [[スタジオジブリ]]の研修生採用試験では絵を2枚以上描いて提出する一次試験で150枚以上提出。宮崎駿から「君のような人間を(ジブリに)入れると、かえって君の才能を削ぐと考えて、入れるのをやめた」と書いた手紙を貰ったが、「雑用係でもいいから入れてください」とジブリに電話をすると「今回の試験で宮崎さんが手紙を出したのは、全受験者中二人しかいない。その一人が君で、これは光栄なことだから、おとなしく諦めなさい」と言われた<ref name=hure-sutairu>『フリースタイル』(vol.7、フリースタイル社) - 特集・細田守より。</ref>。また細田は「ポスト[[宮崎駿]]」とよく言われるが<ref>「手書きで表現 心のひだ――おおかみこどもの雨と雪 細田監督」『朝日新聞』2012年7月20日付夕刊、第3版、第3面。</ref>、自身は「あくまで自分の「面白い映画」を作りたいんです」「宮崎駿的なものだったら、宮崎さんが作ればいいんです」と否定している<ref>[http://wpb.shueisha.co.jp/2012/07/28/12951/3/ 細田守「宮崎駿になりたくてアニメをやっているわけじゃない!」p3]</ref>。
* アニメ業界では、上記の通り東映の入社時に最初から演出業を志望していたがしばらくはアニメーターとしての日々だった。アニメーター時代は[[山下高明]]が[[師匠]]のような存在であり、色々な技術を彼から教わっていた。しかし演出デビューしたのをきっかけに作画の仕事からフェードアウトしていく。細田はこのことを若干後悔しているらしく、『[[時をかける少女 (アニメ映画)|時をかける少女]]』公開時のイベントで、「もし、過去をやり直せたら何をするか」とのテーマで七夕での願掛けを行う際「東映入社時に戻って作画をもう一度修行し直したい」と書いた<ref>『時をかける少女』限定版映像特典ディスクより。</ref>(アニメーターとしての腕は確かであり、[[すしお]]が原画修正のやり方について悩んでいたときに細田が間髪入れずアドバイスしたことで「この人には敵わない」と思わせる程であったという<ref>『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』パンフレットより。</ref>)。
* 『[[少女革命ウテナ]]』などでは'''橋本カツヨ'''(細田曰く「親友であり別人」、この発言はジョークである)、『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|るろうに剣心]]』などでは'''遡玉洩穂(そだまもるほ)'''という変名で[[絵コンテ]]を担当している。
* 両親は自身が若いときに既に他界しており、結婚して親戚が出来たときに感じた絆が『サマーウォーズ』への繋がっている。
* コンテは必ずファミリーレストランで描き、その間は食事を取らない。ファミレスで執筆するメリットとして、周囲に人がいるから独りよがりにならずに済むと語る。また、食事シーンそのものに生命力を感じるとしている。
* 2012年の[[朝日新聞]]の記事では、細田は「ポスト[[宮崎駿]]と目される存在」と紹介されている<ref>「手書きで表現 心のひだ――おおかみこどもの雨と雪 細田監督」『朝日新聞』2012年7月20日付夕刊、第3版、第3面。</ref>。
 
=== 作品について ===
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