「FNハースタル」の版間の差分

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ベルギーの職人技とドイツの大量生産技術が合わさったFN社だが、そこに1人の[[アメリカ合衆国#国民|アメリカ人]]銃器設計者の設計が加わる。そのアメリカ人こそ、銃火器の歴史に残る銃器設計者「[[ジョン・ブローニング|ジョン・モーゼス・ブローニング]]」(※発音はブラウニングの方が近い)である。ブローニングは、[[企業家]]としてではなく、設計者として生きる事を決意し、フリーの銃器設計者として自分の設計した銃を銃器メーカーに販売し、生計を立てていた。[[1897年]]に、FN社は彼の設計した[[FN ブローニングM1900]][[拳銃]]の製造ライセンスを獲得。それを境に、ブローニングと親密な関係を結ぶことになる。しかし[[1926年]]、FN社工場の61回目の訪問の際に、[[心臓発作]]で[[急死]]する。
 
その後、ブローニングが設計した32口径拳銃を、彼の1番[[弟子]]である[[デュードンヌ・J・セヴ]](日本では一般にデュードネ・ヨゼフ・サイーブ)(生:[[1888年]]~没:[[1970年]])らが[[ブローニング・ハイパワー|FN ブローニングM1935]](ブローニングハイパワーよくBHPBHPと略される)と名づけて完成させた。
 
[[1939年]]~[[1945年]]の[[第二次世界大戦]]で、ベルギーはドイツに占領されてしまった。そのため、[[ドイツ軍]]で使用されている兵器の生産に駆り出されることになる。実際に、ブローニングHPはドイツ軍に使用されている<ref>第2次大戦で[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]、[[枢軸国]]双方で使用された唯一の銃である。</ref>。この大戦でFN社は大打撃を受けたものの、それでも終戦後は[[アメリカ欧州軍|欧州駐留米軍]]の小火器に整備、修理などを請け負い、生きながらえることが出来た。ブローニングHPの発注も続けて生産数を150万挺を超えた。
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FALはFN社を軍用ライフルメーカーとしての確たる地位を築いたが、機関銃分野においても、トップメーカーに伸し上がることになる。それを可能としたのは、D・J・セヴの助手であった[[エルンスト・ヴェルヴィエ]]が設計した7.62mm口径の「[[FN MAG|MAG-58]]」である。MAGの設計は[[ブローニング自動小銃M1918|ブローニングBAR]]を踏襲した機構を持つため、全体的に古く、耐久性は十分だが軽量性は之しかった。だが、銃身交換のしやすさなどの利点も多く、[[M60機関銃]]の銃身交換のしにくさに悩んでいた[[アメリカ陸軍|米陸軍]]は、MAGにM240という制式名を与えて採用した。この他にも、世界80カ国近くで採用された。
 
[[イギリス]]などから反対されていたにも関わらず、7.62mm口径をNATO弾に制定したアメリカは、[[1960年代]]半ばに5.56mm口径を、大胆にもNATO弾へと制定した。そのため、[[1977年]]~[[1979年]]にかけ、NATO諸国は5.56mm弾の比較テストを行い、その結果、FN社の開発した[[5.56mm NATO弾|SS109弾]]をNATO弾に制定することとした。これに合わせ、FN社は5.56mm口径のアサルトライフル、「[[FN CAL|CAL(軽オートマチック・カービン)]]」を開発した。しかし、アメリカ製[[M16]]ライフルへの対抗意識で、ヴェルヴィエら開発陣営はCALの開発を早めたため、設計を十分に練る事が出来なかった。そのことがCALの信頼性不足や短命さにつながってしまい、CALはFALの様な成功をおさめる事は出来なかった。CALの失敗が明らかとなった[[1970年代]]半ばに、CALを簡略化した「[[FN FNC]]」の開発を開始。[[1979年]]に生産に入るが、そのころにはどの国もアメリカのM16シリーズを採用、もしくは自国で5.56mm口径ライフル開発していたため当時の流行に反した堅実すぎる仕様等が原因でFNCは自国と[[スウェーデン軍]]、[[インドネシア軍]]の3カ国でしか採用されなかった。FNCはCAL同様FALの様な成功をおさめることが出来ず、FN社は5.56mm口径軍用銃開発の波に乗り損ねてしまった。しかし、5.56mm口径の「[[ミニミ軽機関銃]]」を開発し、アメリカ、日本など10カ国で以上で採用され、まずまずの成功をおさめる。
 
5.56mmライフルの波に乗り損ねたFN社は、[[1980年代]]にFN社自身で新たな波を作ろうとした。それは、新弾薬を使用する「[[FN P90|FN P90 PDW]]」と「[[FN BRG-15|BRG-15]]重機関銃」である。BRG-15はブローニングM2重機関銃の後任を狙った重機関銃で、口径は15mm(後の改良で15.5mmとなる)である。しかし、既にM2重機関銃を運用している国からすれば、保有している兵器と弾薬を破棄しなくてはならず、しかもM2はまだ現役で運用する事が可能な程の性能を有しているため、BRG-15に転換する必然性は薄かった。結局、BRG-15計画は[[1990年代]]初めに中止された。P90は新たに5.7mm口径を採用したものでFN社はP90と同一の弾薬を使用する自動拳銃「[[FN Five-seveN|Five-seveN]]」を1990年代初めに開発しており、ライフル弾と拳銃弾の中間に位置する新規格の開拓を狙ったものだった。しかしBRG-15と同じく新弾薬を採用していることや、有効射程、命中性などの観点での問題、そもそも冷戦が終結しPDW計画が中止された事もあって、各国が採用を躊躇い、肝心のPDWとして採用されることはなかった。ただしP90はある程度、海外1997年軍隊や警察で採用された。しかし、P90の成功を諦め[[在ペルー日本大使公邸占拠事件]]がっかけとかったFN社はP90と同弾薬を使用する「[[FN Five-seveN|Five-seveN]]」を1990年代初め特殊部隊開発。5.7mm口径を少しでも普及させよう特殊作戦向けの'''サブマシンガン'''としている採用された
 
[[1970年代]]はヒット銃器メーカーの一員であったFN社は、1980年代に入ってからの相次ぐ企画倒れに低迷を続け、それに止めを刺すように[[冷戦]]終結の近づきによる軍需低迷も加わり、FN社の業績は大きく低下した。[[1986年]]、FN社は[[ブローニング・アームズ]]社を傘下に収める。そのブローニング社は、[[1989年]]に[[ウィンチェスター・リピーティングアームズ|U.S.リピーティング・アームズ社]](商標:ウィンチェスター)を買収した。これらアメリカを代表とする銃器メーカーを買収したFN社は、同業社の買収のほかにも[[スポーツ器具|スポーツ用品]]市場にも進出し多角化を図るも、それが裏目にでる結果となり、負債の増加させ、さらなる経営圧迫を招いた。[[1991年]]、ついにFN社はフランスの防衛グループ企業GIAT(現 [[ネクスター]])傘下に入り、'''FNハースタル'''(FN Herstal)と社名を変更、GIAT社はFN社とその傘下企業をハースタル・グループへと再編した。
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* [[FN ビニュロンM2|ビニュロンM2]]
* [[FN P90|P90]]
* [[FN PS90|PS90]]・・・P90の民間向けモデル。セミオートのみ
 
=== ショットガン ===
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* [[:en:Browning Superposed|スーパーポーズド]]
* [[FN M100|M100]]
* [[FN TPS|TPS]]
* [[FN タクティカル・ポリス|タクティカル・ポリス]]
* [[FN SLP|SLP]]
 
121行目:
* [[FN CAMP|CAMP]]
* [[ブローニング・オート22]]
* [[FN F2000|FS2000]]・・・F2000の民間向けモデル。セミオートのみ。
* [[FN SCAR|SCAR 16S]]・・・SCAR-Lの民間向けモデル。セミオートのみ。
 
=== アサルトライフル ===
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* [[M16#M16A4(905)|M16A4]](FNH USA社でライセンス生産)
* [[FN SCAR|SCAR]]
* [[FN FNAC|FNAC]]
 
=== スナイパーライフル ===
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* [[ブローニングM2重機関銃]]
* [[FN BRG-15]]
 
=== 低致死性兵器 ===
* [[FN 303]]
 
== 参考・脚注 ==