「連合軍軍政期 (ドイツ)」の版間の差分

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[[ファイル:Occupied Berlin.svg|center|250px]]<br><center><small>ベルリン市の連合国各国の占領域</small></center>
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[[ドイツ]]の'''連合軍軍政期'''(れんごうぐんぐんせいき)は、[[ドイツの歴史]]において、[[第二次世界大戦]]終結([[1945年]][[5月8日]])から東西分裂([[1949年]])までの、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国4国軍]]に占領された時代である。1945年から[[1990年]]まで続いた'''[[分断時代のドイツ|分断時代]]'''の第1部(4つの分断国家)に当たり、分断時代の第2部は2つの分断国家の時代(1949年 - [[1990年]])である。
 
==概要==
[[ナチス・ドイツ]]が[[第二次世界大戦]]で敗れると、ドイツは[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国4国軍]]([[アメリカ合衆国|米]]、[[イギリス|英]]、[[フランス|仏]]、[[ソビエト連邦|蘇]])に占領された。連合国軍は、管理目的のために[[1945年]][[5月8日]]から[[1949年]]までの4年間、[[オーデル・ナイセ線]]の西でドイツを4つに分割占領して[[軍政]]を布いた。
 
第二次世界大戦末期に、[[アメリカ軍]]は、[[ヤルタ会談]]と[[ロンドン議定書]]で同意された、ラインを超えて最大200マイルに渡って東側へ進出しており、戦争終結後の[[赤軍|ソビエト赤軍]]と[[アメリカ軍]]間の境界線は暫定であった。戦争終結後2月間、アメリカ軍はソ連占領予定区域に滞在した後、1945年7月初めに撤退した。このことは、同じ頃(1945年7月)に[[ベルリン]]における各国の占領予定区域に[[アメリカ]]、[[イギリス]]、[[フランス]]の各軍が駐留することを[[ソビエト連邦|ソ連]]に容認させるにあたり重要な役割を果たしたという意見もあるが、一方でこの点に関しては情報収集のための必要性があったという要素も考えられる([[ペーパークリップ作戦]]参照)。
 
== 占領区域 ==