「第一次対仏大同盟」の版間の差分

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* [[スペイン|スペイン王国]]
 
同盟軍は陸海からフランスに対する攻撃を開始した。プロイセン、オーストリアは、南部[[ネーデルラント]]、[[ライン川|ライン]]から攻勢を仕掛け、イギリスは[[海上封鎖]]を開始してフランス海軍の拠点である[[トゥーロン]]港を包囲した。フランスは、1793年3月18日の[[ネールウィンデンの戦い (1793年)|ネールウィンデンの戦い]]における敗北と、それに続く[[シャルル・フランソワ・デュムーリエ|デュムーリエ]]の投降で対外的に劣勢に立たされた。さらに国内でも西部の[[ヴァンデの反乱|ヴァンデ地方]]や南東部の[[リヨンの反乱|リヨン]]などで王党派の扇動による反乱が発生し、トゥーロンに至っては市内の王党派がイギリスとスペインの艦隊を入港させるなど、内憂外患を抱えていた。同年4月6日、革命政権は[[公安委員会 (フランス革命)|公安委員会]]を組織して内部の引き締めを図るとともに、8月23日、[[徴兵制度]]を布いて失った兵力の回復に努めた。
 
1793年末からフランスは反攻に移り、国内に侵攻していた同盟軍を全て国外まで撤退させた。同年12月19日、[[ナポレオン・ボナパルト]]は[[トゥーロン攻囲戦|トゥーロンの奪還]]に重要な役割を果たし、おおいに名声を高めた。その後もフランスの攻勢は続き、1795年4月6日にはプロイセンと[[バーゼルの和約]]を締結して[[ラインラント]]を獲得し、同年5月には南部ネーデルラントに衛星国の[[バタヴィア共和国]]を建国した。スペインもまた第二次バーゼルの和約でフランスと休戦した。10月26日、[[国民公会]]が解散されて[[総裁政府]]が成立、フランス軍はドイツ、北部イタリアの征服に取り掛かった。
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