「七十一番職人歌合」の版間の差分
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===前田育徳会本===
3巻、紙本着色。上巻33.3cm×1849.1cm、中巻33.3cm×1784.0cm、下巻33.3cm×1685.2cm。巻頭序文12行。蒔絵付黒漆地箱入りで蓋表中央に金泥で「職人歌合」蓋裏には「職人歌合絵草子三巻」。加賀藩第2代藩主[[前田利常]]による
===金沢成巽閣文庫本===
3巻、紙本着色。杉の二重箱に納められ、表蓋に「天賜職人歌合三巻」。加賀藩第4代藩主[[前田綱紀]]の
===東京国立博物館本===
3巻、紙本着色。上巻32.1cm×2040.9cm、中巻32.1cm×1875.8cm、下巻32.1cm×1862.1cm。序文なし。月左歌・右歌、判詞、恋左歌・右歌、判詞、その後に左右の職人像が描かれている。上巻1~23番、中巻24~46番、下巻47~71番。巻末に
===明暦三年本、延享元年本===
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二部仕立てとなっており、一番から五十番までを第一部、五十一番から七十番までを第二部とし、これに七十一番を付け足した形をとっており、『[[白氏文集]]七十一巻本』(朝鮮銅活字本)の形式を借用していると見られている。七十一番にそれまでの芸能者の流れを無視して唐突に「酢造・心太売」が現れるのは、酢を「あまり」とも呼ぶことから、七十番の歌合に「あまり」として追加する構成をとったものと考えられている。「心太売」が番っているのは心太に酢をかけて食していたからとみられる。寺社の建築に携わる伝統的職工人に加え、女性工人、売女、生産に直接携わらない芸能者や遊女などより多くの下層民もとり入れられ、近代以降の手工業者としての職人に限れない当時の多岐に渡る職人が歌われている。
画中詞は先行する職人絵巻には見られず、当時の職人の生態や時代背景を知るうえで貴重な資料となっている。二十三番「翠簾屋」の口上から、近衛殿の新御所への引越しが近いことがわかる。[[近衛政家]]の『後法興院記』には、
歌は、上句で用いられた職人語彙などの俗な語を下句で雅に受ける職人歌合に一般的に見られる構造のものが多く、そのスムーズな移行転換が競われたと評されている<ref>岩崎佳枝 「文学としての『七十一番職人歌合』」in 岩崎佳枝, 高橋喜一, 網野善彦, 塩村耕校注 『七十一番職人歌合・新撰狂歌集・古今夷曲集』, 新日本古典文学大系 61, 岩波書店 (1993/03), p. 563-579. ISBN 978-4002400617</ref>。詠者の衆議により勝敗の判定が下されたとみられ、伝統的な情緒をやわらかく詠んだものに高評価を与え、[[狂歌]]風のものには批判的である。
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