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{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
| Name = はちみつぱい
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| Img_capt =
| Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
| Background = band
| Alias =
| Origin = {{JPN}}
| Genre = [[ロック (音楽)|ロック]]
| Years_active = [[1971年]] - [[1974年]]<br />[[1988年]]
| Label =
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| Associated_acts = [[あがた森魚]]
| Influences =
| URL =
| Current_members = [[鈴木慶一]]<br />[[本多信介]]<br />[[武川雅寛]]<br />[[和田博巳]]<br />[[かしぶち哲郎]]<br />[[駒沢裕城]]<br />[[岡田徹]]<br />[[椎名和夫]]
| Past_members = [[渡辺勝 (音楽家)|渡辺勝]]
| Notable_instruments =
}}
 
'''はちみつぱい'''は、[[1971年]]から[[1974年]]にかけて活動した日本の[[ロック_(音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]。[[はっぴいえんど]]と共に、日本語ロックの先駆者として知られる。初期の頃は'''ハチミツパイ'''と表記されることもあった。
 
== メンバー ==
*[[鈴木慶一]](ヴォ[[ボーカル]][[ギター]][[ピアノ]]
*[[渡辺勝 (音楽家)|渡辺勝]](ヴォーカル、[[キーボード (楽器)|キーボード]]、ギター)(1972年9月脱退)
*[[本多信介]](ギター)
*[[武川雅寛]]([[ヴァイオリン]]
*[[和田博巳]]([[ベース (弦楽器)|ベース]]
*[[かしぶち哲郎]]([[ドラムセット|ドラムス]]
*[[駒沢裕城]]([[スティール・ギター|ペダルスティール]])(1972年9月加入)
*[[岡田徹]](キーボード)(1973年9月加入)
*[[椎名和夫]](ギター)(1974年秋頃加入)
 
== 略歴 ==
[[1970年]]、[[鈴木慶一]]は[[あがた森魚]]らと共に'''あがた精神病院'''を結成。後に'''あがた森魚と蜂蜜麺麭'''(はちみつぱい)と名前を変えるが、メンバーは一定せずロックバンドというよりは、[[あがた森魚]]のバックバンド的な活動を行っていた。バンドの名も、あがたが[[ビートルズ]]の[[ハニー・パイ]](Honey Pie)から引用したものだった。これを前身として、[[1971年]]から'''蜂蜜ぱい'''と名乗り、あがたとは独立したロックバンドとしての活動を行うようになる。渋谷百軒店のライブハウスであるBYGへの出演を活動の中心に、[[岡林信康]]やあがた森魚、[[西岡恭蔵]]などのアルバムのレコーディングにも参加した。
 
1971年8月、鈴木慶一、[[渡辺勝 (音楽家)|渡辺勝]]、本多信介の3名で[[第3回全日本フォークジャンボリー]]に出演。これをきっかけに和田博巳が加入。1971年秋頃にはセッションを通じて武川雅寛が、オーディションにてかしぶち哲郎が加入し主要メンバーが出揃う。[[1972年]]春頃、表記を'''はちみつぱい'''に改めた。1972年5月、[[春一番 (コンサート)|春一番コンサート]]に出演。1972年9月、渡辺勝が脱退し、これに入れ替わる形でペダルスティールの駒沢裕城が加入。ヴァイオリンの武川と共に、はちみつぱいのサウンドを独特なものとした。
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**脱退した渡辺勝もレコーディングに参加。
*セカンドアルバム イン・コンサート(1988年)
**ライブ音源集。ゲストヴォーカルにあがた森魚、[[細野晴臣]]らが参加。
*9th June 1988 はちみつぱい Live(1989年)
**再結成コンサートのライブアルバム。
*The Final Tapes(2009年)
**1972年1月~1975 - 1975年1月のライブ音源を編纂し収録した9枚組CDボックス。
 
== シングル ==
*君と旅行鞄(トランク)(1974年)
**B面は『酔いどれダンス・ミュージック』。録音エンジニアとして[[大瀧詠一]](笛吹銅次名義)が参加。「君と旅行鞄(トランク)」は、元々シングルとして出るはずだったアルバム「センチメンタル通り」に収録されている「ぼくの倖せ」(規格番号はOF-19が当てられていた。(BB面は「僕の倖せ」同様「センチメンタル通り」収録の「薬屋さん」を収録予定だった。))が諸事情で発売中止になったため若干作り替えた物で、「センチメンタル通り」がCD化した際にB面の「酔いどれダンス・ミュージック」と共に追加収録されてCD化された。<br />尚、このシングルは所属していた[[ベルウッド・レコード (オリジナル)|ベルウッドレコード]]からではなく、ワーナーパイオニア(現[[ワーナーミュージックジャパン]])からリリースされている。
 
== 参考文献 ==