「ステーンケルケの戦い」の版間の差分

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だが、リュクサンブールは本陣を中心に軍を立て直し、逆に同盟軍に3回突撃をかけるまでになった。この戦いではフランス王族が多数参戦していて、シャルトル公[[フィリップ2世 (オルレアン公)|フィリップ]](後の[[オルレアン公]]フィリップ2世)、[[ブルボン公]][[ルイ3世 (コンデ公)|ルイ]](後の[[コンデ公]]ルイ3世)、コンティ公[[フランソワ・ルイ・ド・ブルボン (コンティ公)|フランソワ・ルイ]]、ヴァンドーム公[[ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボン|ルイ・ジョゼフ]]と[[フィリップ (ヴァンドーム公)|フィリップ]]兄弟らはリュクサンブールと共に軍隊の再編に奔走、負傷を恐れず同盟軍に突撃していった。
 
12時にイングランド歩兵隊の[[ヒュー・マッケイ]]はフランス軍と交戦したが、支援の無い突出した状態であったため、フランス軍の反撃で危機に陥った。後方のオランダ軍の将軍ゾルムス=ブラウンフェルス伯[[ヘンドリック (ゾルムス=ブラウンフェルス伯)|ヘンドリック]]は騎兵を前進させたが悪路に阻まれ停止、マッケイからの救援要請に応えず無視し続け、イングランド近衛連隊の救援で歩兵隊はようやく撤退したが、マッケイは戦死して歩兵隊も大損害を受けた。
 
激戦は夕方まで続き、ブーフレールが戦場に駆けつけ竜騎兵と砲撃で同盟軍攻撃に加わると、ウィリアム3世は戦闘継続を断念して撤退を決めた。退却の指揮はオランダ軍の将軍アウウェルケルク卿[[ヘンドリック・ファン・ナッサウ=アウウェルケルク|ヘンドリック・ファン・ナッサウ]]が取り、頑強に抵抗してフランス軍の追撃を阻止、フランス軍も被害が大きく追撃出来る状態に無かった。
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