「淑景舎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ThunderCross (会話 | 投稿記録)
全体の出典を明記願います。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方をご参照下さい
編集の要約なし
 
5行目:
[[内裏]]の北東に位置し、南北二棟がある。(北は淑景北舎) [[宣耀殿]]の東、[[昭陽舎]]の北。
 
[[天皇]]の住まう[[清涼殿]]から最も遠い位置にあり、また、清涼殿に向かう際もほかの殿舎の前を通る渡り廊下を通らねばならないなど不便な配置である。そのためか、実際には天皇の[[女御]]や[[更衣 (女官後宮)|更衣]]が居住したという記録は殆どなく、むしろ[[摂政]]の[[直廬]](じきろ、詰め所)などに利用されることが多かったようである。
 
淑景舎を賜っていたことで知られるのは、[[三条天皇]]の[[東宮]]時代の女御・[[藤原原子]]([[藤原道隆]]女)。
12行目:
 
南北いずれも5間4面というが、南舎は図によれば身屋が南北2間、東西5間、南・北の廂は5間、東・西の廂は4間、東廂の外に孫廂があり、北・西・南の3方に簀子があり、南の簀子の中央から、昭陽北舎に続く渡廊、西廂の南一の間の西に宣耀殿にかよう渡廊、東廂の北端から、北舎の東廂の南端にかよう渡廊が、いずれも簀子をへだててある。北舎は身屋が南北2間、東西5間、西と東と2間の廂があり、西方に簀子がある。
 
{{Japanese-history-stub}}
{{DEFAULTSORT:しけいしや}}