「バルセロナ包囲戦 (1705年)」の版間の差分

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'''第1次バルセロナ包囲戦'''([[カタルーニャ語]]:'''Setge de Barcelona''')は、[[スペイン継承戦争]]における戦闘の1つで、[[1705年]]に[[イングランド王国|イングランド]]・[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]・[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]・[[ポルトガル王国|ポルトガル]]連合軍が[[カタルーニャ君主国|カタルーニャ]]の中心地[[バルセロナ]]を攻め落とした戦いである。バルセロナを攻め落とした連合軍はカタルーニャ、[[バレンシア王国|バレンシア]]地方を手中にした。
 
[[6月20日]]にポルトガルの首都[[リスボン]]に到着したイングランド艦隊はオランダ艦隊と合流して[[7月24日]]に出港、[[8月22日]]にバルセロナの海側を封鎖し、[[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール大公]]率いる兵を上陸させた。しばらく両軍はにらみ合いを続けていたが、[[9月13日]]にイングランド軍司令官のピーターバラ伯[[チャールズ・モードント (第3代ピーターバラ伯)|チャールズ・モードント]]はバルセロナ南の[[ムンジュイック]]砦への攻撃を開始した。連合軍は一時は砦の守備兵に押し返されオーストリアの将軍[[ゲオルク・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット (1669-1705)|ゲオルク・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット]]も戦死したものの砲撃によって[[9月17日|17日]]に砦を占領する事に成功した。
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