「クラーク・アシュトン・スミス」の版間の差分

infobox, t:クトゥ, link fix
(infobox, t:クトゥ, link fix)
{{Infobox 作家
{{文学}}
| name = クラーク・アシュトン・スミス
| image = Clark Ashton Smith 1912.jpg
| imagesize = 200px
| caption = 1912年のスミス
| pseudonym = <!--ペンネーム-->
| birth_name = <!--出生名-->
| birth_date = {{birth date|1893|1|13|df=yes}}
| birth_place = [[カリフォルニア州]] Long Valley, [[アメリカ合衆国]]
| death_date = {{death date and age|1961|8|14|1893|1|13|df=yes}}
| death_place = [[カリフォルニア州]] [[:en:Pacific Grove, California|Pacific Grove]], [[アメリカ合衆国]]
| resting_place = <!--墓地、埋葬地-->
| occupation = [[短編]]作家, [[詩人]]
| language = <!--著作時の言語-->
| nationality = [[アメリカ合衆国]]
| education = <!--受けた教育、習得した博士号など-->
| alma_mater = <!--出身校、最終学歴-->
| period = <!--作家としての活動期間、処女作出版から最終出版まで-->
| genre = [[ホラー小説]], [[ファンタジー]], [[サイエンス・フィクション]]
| subject = <!--全執筆対象、主題(ノンフィクション作家の場合)-->
| movement = <!--作家に関連した、もしくは関わった文学運動-->
| religion = <!--信仰する宗教-->
| notable_works = <!--代表作-->
| spouse = <!--配偶者-->
| partner = <!--結婚していない仕事のパートナー(親族など)-->
| children = <!--子供の人数を記入。子供の中に著名な人物がいればその名前を記入する-->
| relations = <!--親族。その中に著名な人物がいれば記入する-->
| influences = [[リチャード・フランシス・バートン]], [[ロード・ダンセイニ]], [[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]], [[エドガー・アラン・ポー]], [[:en:George Sterling|George Sterling]]
| influenced = [[:en:David A. Hargrave|David A. Hargrave]], [[ロバート・E・ハワード]], [[フリッツ・ライバー]], [[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]], [[:en:Emil Petaja|Emil Petaja]], [[ジャック・ヴァンス]], [[:en:Lloyd Kropp|Lloyd Kropp]], [[:en:James Lowder|James Lowder]]
| awards = <!--主な受賞歴-->
| debut_works = <!--処女作-->
| signature = <!--署名・サイン-->
| website = <!--本人の公式ウェブサイト-->
| footnotes = <!--脚注・小話-->
}}
'''クラーク・アシュトン・スミス'''('''Clark Ashton Smith''',[[1893年]][[1月13日]] - [[1961年]][[8月14日]])は、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]]生まれの[[詩人]]、[[小説家]]。精緻な文体による[[幻想文学|幻想的]]な作風が特徴で、超未来の大陸[[ゾティーク]](''Zothique'') や超古代の大陸[[ハイパーボリア (クトゥルフ神話)|ハイパーボリア]](''Hyperborea'')を舞台にした連作短編シリーズが有名。[[絵画]]や[[彫刻]]も手を染めた。
 
カリフォルニア州のプレサー郡ロングバレーの母の実家で生まれる。父は[[イギリス]]から金鉱を探しに来ていて、母は地元の農家の娘であったが、1907年にボウルダーリッジに転居する。スミスは幼少時は体が弱く、読書を好み、11歳頃から[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|アンデルセン]]童話集を手本に童話を書き始め、やがて『[[千夜一夜物語]]』や[[キップリング]]の影響で小説を書くようになる。その後[[エドガー・アラン・ポー|ポー]]や英訳された『[[ルバイヤート]]』に触れて詩作に取り組み、カリフォルニア在住の詩人[[ジョージ・スターリング]]に特に感化を受けた。この時期、ラテン語を独学で習得し、また[[ノア・ウェブスター|ウェブスター辞書]]や[[ブリタニカ]]を通読するなどして、文体の訓練に励んだ。また[[ウィリアム・トマス・ベックフォード]]『ヴァテック』を愛読していた。
 
1910年に地元紙『オーバーン・ジャーナル』に詩が売れて、同年から1912年にかけて、東洋を舞台にした4編の短編小説が『オウヴァーランド・マンスリー』『ブラック・キャット』各誌に掲載された。これにより招待された婦人クラブを通じてスターリングに紹介され、詩作について助言を得るようになる。さらにバウトウェル・ダンラップによりサンフランシスコ、次いで東海岸にも紹介される。この1912年に最初の詩集『星を踏み歩くもの (''Star-Treader and Other Poems'')』を出版。その後は両親の農作業を手伝いながら詩作を続け、1918年頃から絵画も描き始める。1918年に第二詩集『頌と十四行誌 (''Odes and Sonnets'')』、1922年、25年に第三、第四詩集を出版。1922年に、スミスの詩を読んだ[[ハワード・フィリップ・ラヴクラフト]]から手紙が届き、文通が始まり、1923年にラヴクラフトの「潜み住む恐怖」が連載されたときには挿絵を提供した。1923年に創刊された『[[ウィアード・テイルズ]]』誌の7・8月合併号にスミスの詩「邪悪の園」が掲載され、ラヴクラフトとともに同誌の人気作家となっていく。1923年4月から26年1月まで『オーバーン・ジャーナル』誌でコラムを連載して、収入も安定した。
 
ラブクラフトの薦めで幻想小説を書くようになり、1925年に最初の作品「ヨンドの忌むべきものども」を執筆。1929年以降に精力的に幻想小説を執筆し始め、1935年までに『ウィアード・テイルズ』を中心に、『アメージング・デテクティヴ・テイルズ』『[[ワンダー・ストーリーズ]]』などの[[パルプ雑誌]]に約80編の作品を発表。後年にはラヴクラフト、[[ロバート・E・ハワード]]と並んで、『ウィアード・テイルズ』黄金時代を築いた御三家と称される。
* The Testament of Athammaus「アタマウスの遺言」
* The Coming of the White Worm「白蛆の襲来」
 
{{クトゥルフ神話}}
 
[[Category:アメリカ合衆国の小説家|すみす くらあく]]