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こうしたユタを利用する行為は「ユタ買い(ユタコーヤー)」といわれ、通常は2~3人のユタの判断を仰ぐが、依頼者はかなりの額の費用を厭うことなくユタに支払う<ref name="kenkyuge7-1-4" />。{{要出典範囲|date=2012年6月|たとえ霊的な効果はなかったとしても、信じる事で精神的な癒しを得られる事がある。そのため精神的に不安定な患者に対し、医者がユタを勧める例もあり(この場合、霊的な事を目的としている訳ではない)}}、沖縄県には「医者半分、ユタ半分」ということわざが古くからある。
 
{{要出典範囲|date=2012年6月|ユタは単なる霊能力者ではなく、信仰上、自らを神と人間の介在者と位置づけており、広義にはノロやツカサなどと同じく「神人(カミンチュ)」と呼ばれる。}} 桜井徳太郎は、神と人との間の仲介役は神意を鋭敏に感じ取ることのできるセンシブルな存在でなくてはならず、それを良くなしえるのは古来から感受性の強い女性であったと述べている<ref name="kenkyuge7-1-3">『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年 「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐ 第1節 沖縄のシャーマン‐ユタとユタマンチャー‐ 3 ユタの成立」より。</ref>。ユタは本来女性がなるべきものとされていたが、男性のユタも若干存在する<ref name="kenkyuge7-3-1">『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年 「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐ 第3節 ユタの成巫過程 1 ユタ成立の要件」より。</ref>。
 
ユタは後述する弾圧の歴史により、その身分を隠して自身ではユタと言う称号を用いず、また他人からそう呼ばれることに対し反感を抱く<ref name="kenkyuge7-3-1" />。このため神人(カミンチュ)、御願者(ウグヮンサー)、御願を捧げる人(ウグヮンウサギヤー)、判断(ハンジ)など神に仕えることを表す名称を好み、また祭祀・巫儀・卜占の区別が曖昧になってきている状況を受け、侮蔑的語感を伴うユタと言う名称より[[易者]]を意味する三人相(サンジンゾー)や[[風水]]を判断する風水師(フンシー)などの称号を用いる者もいる<ref name="kenkyuge7-3-1" />。
 
== 成立 ==
『琉球史辞典』ではユタの語源を「おしゃべり(ユンタ)」あるいは神がかりのときに体が「ユタめく(揺れる)」ことから名付けられたのではないかと述べている<ref>『琉球史辞典』1969年より。</ref>。しかし、ユタと言う職業が、どの様に成立したのか、以下のように諸説あり断定されておらずいないが諸説があるが神人(カミンチュ)から分化したという考えが多いようである。
 
*[[伊波普猷]]は、神託を宣伝するべき神人の中に、その様な力を持っていない名義ばかりの者がおり、これらにかわって神託を宣伝する者が民間に出て、とうとう職業とするようになったのがトキまたはユタと称するものであると述べ、ユタが神人から分化したとの考えを示した。また、ユタという語とユンタ(しゃべる)という語との間には内容上の関係があるかもしれないとも述べている<ref>伊波普猷「ユタの歴史的研究」より。「ユタの歴史的研究」は『沖縄県史伊波普猷全集 資料編19近代6第9巻20051975の「民俗論考」に所収されている。</ref>。
*桜井徳太郎は、部落共同体のシャーマンであった祝女や根神が中央集権的琉球王府の官僚的祭司体制に編入される際に、公共祭祀以外の宗教的機能を担った呪術的宗教者が現れたとし、そうしたアウトローの呪術的宗教者は地域社会の民間信仰といっそう密着しながら、在地性を発揮して民衆の要望に応えることになった。そして終に官僚化した司祭者祝女と袂を分かったのだと述べている<ref name="kenkyuge7-1-3" />。
*[[佐々木宏幹]]によると、沖縄本島においては、シマあるいはマキヨと呼ばれる村ごとに総本家となる根所(ニイドゥクル)があり、その主人である根人(ニンチュ)の姉妹が根神(ニーガン)と言われ、神がかりして村落の人々に生活指針を与えた。やがて、8~9世紀になると[[按司|按司(アンジ)]]が村々を併合し、郡程度の領域を統治するようになったが、彼の姉妹や妻は祝女(ノロ)と呼ばれ、やはり神がかりして領域内の人々に生活指針を与えた。これらシャーマニックな女性の活動なくしては根人や按司の統治も完全足りえなかったが、後代になると国家統一と中央集権化に伴って根神や祝女はシャーマン的性格を失って司祭化し、シャーマン的機能はユタに移っていたのだという<ref>『シャーマニズムの世界』1992年 「第2部 シャーマン 5 祭司・シャーマン・王 シャーマン王と祭司王」より。</ref>。<ref group="注">根神(ニーガン)の教権が祝女(ノロ)に移り、やがて祝女の教権も[[聞得大君]]を頂点とした中央集権体制に組織化されていく過程は 鳥越憲三郎『琉球宗教史の研究』1965年 に詳しく述べられている。</ref>
 
== 巫業 ==
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*紛失物があった際に、その所在を占う。
*結婚の際、相性などの適・不適を占う。
*元祖事(グヮンスグトゥ供養・位牌祭祀など先祖に関した事柄)に不振が生じた場合、正しい在り方を判断し指示する。
*[[洗骨]]や移葬の際の死霊供養をおこなう。
*抜霊(ヌジファ)、魂分(マブイワカシ)、若焼香(ワカジューコー:1~7。1~7年忌)、終わり焼香(ウワイジューコー:13。13年忌、25年忌、特に33年忌)など死者供養の[[回向]]をおこなう。
*男系継承者が廃絶した場合、正しい継承者を捜し求めるために先祖に祈願して判断受ける。
*魂籠(マブイグミ)の呪術や、魔物(マジムン)・生霊(イチジャマ)などの悪霊邪霊の祟りを祓除するための呪法をおこなう。
*「旅立ち」の際の安全祈願をする。
また、地域社会における公共生活の側面においては以下のことをおこなう<ref name="kenkyuge7-2-1" />
*祝女・根神・クデなど神人たる神女選定にあたり、その最終決定をおこなう。
*祝女がおこなっていた部落祭祀の担い手として活動する。
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== 成巫過程 ==
「ユタになる運命は生まれたときから定まっていると、かたく信じている沖縄の人々は少なくない」と桜井徳太郎は述べているが、彼が面接したユタもまた例外なくユタになるのは宿命であったと答えている。では宿命であると考える理由は何かと問うと、'''サーダカンマリ'''<ref group="注">あるいは'''サーダカウマリ'''と表記される。</ref>であるからとの返事がかえってくるという<ref name="kenkyuge7-3-2">『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年 「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐ 第3節 ユタの成巫過程 2 サーダカンマリ(saadaka?Nmari)」より。</ref>。「性高い生まれ」と訳されるこの資質は、神霊・死霊・精霊の霊界と交渉を持ち、巫女として超自然的超越者の意志を聞くことのできる聖職者となるために備え持たなくてはならない基本資質であり、ユタのみならず祝女など神人(カミンチュ)にとっても不可欠な要件である<ref name="kenkyuge7-3-2" />。
一般的にユタになる人間は、まず生死に関わる事故、肉親の不幸、夢などをきっかけに「カンダーリィ(神倒れ・神垂れ)」と言われる原因不明の体調不良、いわゆる[[巫病]]を発症するとされる。信仰者の間では「ユタになれという神からの命令」と考えられており、この神命を拒む限り巫病は治らず、死ぬ者もいると信じられている。
 
サーダカンマリの素質は神に選ばれた者のみに与えられるとユタは信じているが、そうした選民観をユタは最初から所有しているわけではなく、巫事(ユタグトゥ)を積み重ねるうち次第に修理固成されていく<ref name="kenkyuge7-3-2" />。
ユタになることを受け入れた者は、地域の御嶽を巡って神と交信したり、信心を持つことによって次第に巫病から解放され、ユタになるとされている。この成巫過程から、多くのユタは「別にユタになりたくてなったのではない」と言う者が多い。こうした者は「生まれながらに霊能力が強い(サーダカウマリ)」であると考えられている。
 
沖縄では幻覚症状を伴った無意識行動を取ることをターリィと言い、その内容が神事(カミグトゥ)、つまり神々に関係がある場合に'''カミダーリィ'''と言う。<ref group="注">『シャーマニズムの世界』1992年 「第1部 憑霊 1 人間苦と憑霊のあいだ - カリスマ的職能者誕生の心理と論理 - カミダーリィの発現」で、佐々木宏幹は'''カミダーリィ'''を'''神祟り'''と訳している。また、桜井徳太郎はターリィを標準語の「祟り(タタリ)」と同じ語源とみることに関し、もしタタリと同源だとすると、今日では頻りと災害や禍厄を下す場合のみに用いる祟りが、元来はカミの示現を意味した言葉であったことの原点にかえってみて、ターリィこそまさにタタリの古態を最も的確に現していると述べている。『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年 「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐ 第3節 ユタの成巫過程」の脚注(9)より。</ref> しかし[[夢遊病]]者的行動に出るのは、神の導きによって生起すると見られるので、ターリィ全般をカミダーリィということが多い。このカミダーリィは、精神病者である狂人(フリムン)、物狂い(フリトゥーン)、狂暴(フラグゥ)とは区別される<ref name="kenkyuge7-3-3">『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年 「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐ 第3節 ユタの成巫過程 3 カミダーリィ(Kamidaarii)」より。</ref>。
 
カミダーリィは、初期には単なる病気としか思えないが、やがて幻覚の中に現れるカミまたはカミの使者の「お知らせ(ウシラシ)」を受け、神事(カミグトゥ)に入らないとターリィは癒らないと脅される。しかし、多くのユタたちの告白によれば、家庭を犠牲にすることやユタとして生計を立てられるか等の不安から神事に入ることを躊躇し、殆どの人が「お知らせ」を無視したり、聞かないふりをして正常な生活を維持しようと試みる。だが、その様な判断のもとに進むとまたカミダーリィに襲われ、今度はカミまたはカミの使者から、入巫しないと不幸になる・病気が重くなる等の威嚇めいた催促(セイジュク)<ref group="注">あるいは'''請求'''という単語があてられる。</ref>を受け、心身の苦痛はいよいよ烈しく迫ってくる<ref name="kenkyuge7-3-4">『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年 「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐ 第3節 ユタの成巫過程 4 イニシエーションの過程」より。</ref>。
 
カミダーリィはユタになるまでに必ず通過し、体験しなければならない関門で、ユタの告白によるとカミダーリィは必ず原因不明の病気が随伴する<ref name="kenkyuge7-3-3" />。佐々木宏幹は、カミダーリィが[[巫病]]の性格・内容を典型的に備えたものであると述べている<ref name="yumenoshinri">『シャーマニズムの世界』1992年 「第2部 シャーマン 6 シャーマンと夢 イニシエーション的夢の心理 - 社会的背景について」より。</ref>。
 
こうして岐路に立たされ、悩み悩んだ末、ついにユタの判断(ハンジ)を求めて巫家(ユタヌヤー)へ赴き、そこでユタに頼み御願(ウグヮン)をしてユタになる道順の手ほどきを受ける。この道程にあるユタ志願者を一般にナライユタという。手ほどきを受けるユタの選定はナライユタ自身の自発的意思によっておこなわれるので、学生が自己の希望で講師を選択するように、何人ものユタを渡り歩いて巫法を覚える。このため、イタコなどのように固定された師弟関係を結ぶことがない。ナライユタは、必要に応じて巫家へ赴いてユタの手法を見守ったり、御願のために聖地を巡拝するユタに随伴し、線香(ウコウ)の供え方や御意趣(グイス。巫儀の導入部)の際の唱え文句を覚える<ref name="kenkyuge7-3-4" />。
 
こうして巫家を歴訪して神事に精を出し、各地の聖地へ御願回り(ウグヮンマァーイ)をするうち、噂を聞いた近所の家から巫儀をお願いされ、良い評判が取れれば次第に客が増えて知らず知らずのうちに一人前のユタが成立する<ref name="kenkyuge7-3-4" />。このようにユタとして独り立ちした状態は「道あけ」と呼ばれる<ref>『シャーマニズムの世界』1992年 「第1部 憑霊 1 人間苦と憑霊のあいだ - カリスマ的職能者誕生の心理と論理 - 」の脚注(9)より。</ref>。
 
以上のような成巫過程ため、イタコの「神憑け」のような成巫儀礼はおこなわれず、ユタの成立は入巫のけじめが見られないという特徴がある<ref name="kenkyuge7-3-4" />。
 
これらユタとなった者の多くは、その生涯において不遇な経験をしている。リーブラ(William P. Lebra)は結婚の失敗・家庭内不和・数度の離婚などの経験を報告し<ref> 『沖縄の宗教と社会構造』1974年より。</ref>、桜井徳太郎はこれらに加え医者にかかっても癒らない性の悪い腹障り・頭痛・喘息・神経痛などの発症をあげている<ref name="kenkyuge7-3-1" />。佐々木宏幹は、リーブラがあげる家族の人間関係における相克・葛藤、桜井徳太郎があげる身体的異常が、多くの場合カミダーリィ前後に併行し複合化して現出すると述べ、この事例として[[宮古島市]]<ref group="注">原文では[[平良市]]。平良市は2005年10月1日に町村合併で宮古島市となった。</ref>の男性の場合をあげている。彼は失恋などの後に[[ノイローゼ]]症状と医者に診断されたが、彼の姉は「神の道へ入れと言う知らせであり、入らないと生命にかかわる」と述べ、そのうち身体に異常をきたして彼自身もカミダーリィを自覚したことが紹介されている<ref name="ningenku">『シャーマニズムの世界』1992年 「第1部 憑霊 1 人間苦と憑霊のあいだ - カリスマ的職能者誕生の心理と論理 - カミダーリィと人間苦」より。</ref>。
 
さらに佐々木宏幹は、離婚によって夢と不眠に悩まされ、ユタの判断(ハンジ)によって異常行動に拍車がかかり、加えて親族知人からサーダカンマリであるとの刻印を押されて「仕方がないからユタにならざるを得ない」と思っているカミダーリィの女性を例にあげ、このような人々が多数いるとも述べている<ref name="yumenoshinri" />。
 
== 信仰と戒律 ==
戒律はなく教義もないため、婚姻の有無や処女性なども問われない。ユタは公的な祭事は行わないが神に仕えており、[[御嶽 (沖縄)|御嶽]]を巡って神と交信し、霊障や病気、冠婚葬祭などの問題を中心に助言を行い、加えて公徳心や道徳心を説くことが多い。暦を読んで吉凶日を告げる仕事を行っていたために「時双紙(ときそうし)」という暦本を持っていたが、これらは大多数が後述する弾圧の時代に焚書され、現在では本島の一部と[[宮古島]]に数冊現存するのみである。
 
教義、戒律の希薄さから、無宗教化が進んでいる。一例として、一般にユタの祭壇には、[[仏教]]や[[神道]]、[[キリスト教]]などの偶像や牌などが無秩序に並べられるなどしている。また、ユタは必ずしも正業ではなく、副業として行なっている者も多い。
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== シャーマンとしての分類 ==
[[堀一郎]]によれば、シャーマニズムとシャーマンの概念は学者によって異なる定義づけがなされ、諸学者間に一致した見解は現状もたれていないのだという<ref>『日本のシャーマニズム』1971年 「2 聖の領域に入る - シャーマニズムとは何か - 1 エクスタシー シャーマンの一般的特色」より。</ref>。桜井徳太郎もこれと同様のことを述べている<ref name="kenkyuge7-3-r3">『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年 「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐ 第3節 ユタの成巫過程」の脚注(3)より。</ref>。そこで、本節ではユタが成巫過程とトランス状態の内容面から見た場合、どのように分類されているかを以下にあげる。
 
その成巫過程から見た場合、ユタは'''召命型シャーマン'''である。召命型シャーマンとは、ある日突然に神霊が憑依し、その召命によって入巫するシャーマンである。これに対しイタコなどは師巫に弟子入りし、修行の後、神憑けのイニシエーションを経て一人前の成巫になる修行(学習)型シャーマンと言える<ref name="kenkyuge7-0" />。桜井徳太郎は、シャーマンになるための入巫動機が、生計を立てるためとか、世襲継承の原理に基づくとかにあるのではなく、心身異常の巫病に罹り、苦悩のすえ神霊の召命を受けてそれを克服し、ついにシャーマンへと成巫する、という過程が最も自然なシャーマン的プロセスであるとするなら、沖縄のシャーマンはその典型的タイプであると述べている<ref name="kenkyuge7-0" />。
 
*その成巫過程から見た場合、ユタは'''召命型シャーマン'''であとされる。召命型シャーマンとは、ある日突然に神霊が憑依し、その召命によって入巫するシャーマンである。これに対しイタコなどは師巫に弟子入りし、修行の後、神憑けのイニシエーションを経て一人前の成巫になる修行(学習)型シャーマンと言える<ref name="kenkyuge7-0" />。桜井徳太郎は、シャーマンになるための入巫動機が、生計を立てるためとか、世襲継承の原理に基づくとかにあるのではなく、心身異常の巫病に罹り、苦悩のすえ神霊の召命を受けてそれを克服し、ついにシャーマンへと成巫する、という過程が最も自然なシャーマン的プロセスであるとするなら、沖縄のシャーマンはその典型的タイプであると述べている<ref name="kenkyuge7-0" />。
*トランス状態の内容面から見た場合、ユタは'''ポゼッション型(憑依型)シャーマン'''とされる。佐々木宏幹は、マッカロック(J.A.MacCulloch)、[[エリアーデ]][[:enro:RaymondMircea FirthEliade|Mircea Eliade]])、ファース([[:en:Raymond Firth|Raymond Firth]]のシャーマンの規定が「トランス状態になり得る人物である」と言う点で一致していることに着目し、トランスの内容からシャーマンの霊魂が体の外にでるエクスタシー型(脱魂もしくは脱我型)と、外部の精霊がシャーマンの肉体に憑依するポゼッション型(憑依型)に分類した。この分類では、ユタは典型的な'''ポゼッション型(憑依型)シャーマン'''であると佐々木宏幹は述べている<ref>『シャーマニズムの世界』1992年 「第2部 シャーマン 10 シャーマニズムとは何か エクスタシーの類型」より。</ref>。
 
== 科学的な検証 ==
本物のユタが能力を発揮するとき、右脳が通常では考えられない異常な状態になることがわかっている。具体的には、論理的な言葉を話すときに活性化すると言われている左脳がほとんど活動を止め、逆に右脳が活性化して論理的な言葉を発している状態になる。この原因は解明されていない<ref>[[NHKスペシャル]]『驚異の小宇宙・人体2 脳と心 第6集 果てしなき脳宇宙~無意識と創造性~』より</ref>。
 
== ユタが登場する映画 ==
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*{{Cite book|和書|author=[[堀一郎]]|title=日本のシャーマニズム|series= |publisher=[[講談社]]|year=1971|month=7|isbn= }}
*{{Cite book|和書|author=[[桜井徳太郎]]|title=沖縄のシャマニズム|series= |publisher=[[弘文堂]]|year=1973|month=7|isbn= }}
*{{Cite book|和書|author=崎原貢・崎原正子訳 リーブラ著|title=沖縄の宗教と社会構造|series= |publisher=弘文堂|year=1974|month=4|isbn=978-4-335-56017-0 C1036}}
:(原著 {{Cite book|last=Lebra|first=William P|year= 1966|title= Okinawan Religion - Belief, Ritual and Social Structure|publisher=[[:en:University of Hawaii|University of Hawaii]] Press|location= Honolulu, Hawaii|isbn= }})
*{{Cite book|和書|author=[[伊波普猷]]|title=伊波普猷全集 第9巻|series=伊波普猷全集|publisher=平凡社|year=1975|month=11}}
*{{Cite book|和書|author=桜井徳太郎|title=桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐|series=桜井徳太郎著作集|publisher=[[吉川弘文館]]|year=1988|month=3|isbn=4-642-07340-X}}
:『日本シャマニズムの研究 下』には『沖縄のシャマニズム』より抜粋したものが掲載されている。このため、両書で内容が同じものについては、『日本シャマニズムの研究 下』を本記事の出典とした。
*{{Cite book|和書|author=[[佐々木宏幹]]|title=シャーマニズムの世界|series= |publisher=講談社|year=1992|month=12|isbn=4-06-159055-3}}
*{{Cite book|和書|author=沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室編|title=沖縄県史 資料編19近代6|series=沖縄県史|publisher=沖縄県教育委員会|year=2005|month=3|isbn= }}
 
== 関連項目 ==