「樺戸郡」の版間の差分

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== 沿革 ==
[[江戸時代]]の樺戸郡域は[[蝦夷地|西蝦夷地]]に属し[[松前藩]]領となっていた。[[江戸時代#江戸時代後期|江戸時代後期]]になると、国防上の理由から[[文化 (元号)|文化]]4年樺戸郡域は[[天領]]とされた。文化5年には[[留萌郡|留萌]]支配人山田屋文右衛門によって雨竜越が開削されている。この道は留萌からニセバルマ、エタイベツを経て樺戸郡と[[雨竜郡]]の境界にあたるシラリカに出る約25里(98.2km)の道で、樺太警固を行っていた[[会津藩]]兵も通行している。[[文政]]4年には一旦松前藩領に復したものの、[[安政]]2年再び天領となり[[庄内藩]]が警固を行った。[[戊辰戦争]]([[箱館戦争]])終結直後の[[1869年]]、[[大宝律令]]の[[国郡里制]]を踏襲し樺戸郡が置かれる。[[北海道 (令制)|北海道]][[石狩国]]に含まれた。[[明治]]2年[[8月20日]]から明治4年8月まで[[長州藩|山口藩]]の[[地]]となっていたが、[[廃藩置県]]とともに分領廃止となっている。
 
*[[1882年]](明治15年)[[2月8日]] - [[三県一局時代#廃使置県|廃使置県]]にともない[[札幌県]]の所管となる。