「ジョージ・マンク (初代アルベマール公)」の版間の差分

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(→‎参考文献: {{Normdaten|TYP=p|GND=117600547|VIAF=12299115|LCCN=n/50/036273}})
9月に[[ロンドン大火]]が発生するとチャールズ2世から呼び戻され治安維持に当たり、翌[[1667年]]にオランダ艦隊が[[テムズ川]]河口付近の[[メドウェイ川]]を襲撃すると急遽現場の[[チャタム]]に向かい、陸に迫るオランダ海軍をチャタムから必死に砲撃して応戦したが、[[ネイズビー (戦列艦)|ロイヤル・チャールズ]]が敵に捕獲され[[リチャード (戦列艦)|ロイヤル・ジェイムズ]]と[[ロイヤル・キャサリン (戦列艦・初代)|ロイヤル・キャサリン]]を沈めるという屈辱的な結果に終わった([[メドウェイ川襲撃]])。戦後[[ブレダの和約]]で戦争は終結、以後は名目上の[[第一大蔵卿]]として実務は大蔵委員会に任せ、3年後の1670年に61歳で死去、[[ウェストミンスター寺院]]に埋葬された<ref>友清、P63 - P79、小林、P202 - P210。</ref>。
 
大将軍はチャールズ2世の庶子のモンマス公[[ジェームズ・スコット (モンマス公)|ジェームズ・スコット]]に、大蔵卿はチャールズ2世の側近[[トマス・クリフォード (初代クリフォード・チャッドリー男爵)|トマス・クリフォード]]に、アルベマール公位は1人息子の[[クリストファー・モンク (第2代アルベマール公)|クリストファー・モンク]]にそれぞれ受け継がれたが、[[1688年]]にクリストファーに子供が無く死去、モンク家とアルベマール公位は消滅した。後にアルベマール伯位が新設され、[[アーノルド・ヴァン・ケッペル (初代アルベマール伯)|アーノルド・ヴァン・ケッペル]]が叙爵された。
 
== 脚注 ==
{{succession box | title=[[アイルランド総督]] | before=[[エドマンド・ラドロー]] | after=[[ジェームズ・バトラー (初代オーモンド公)|オーモンド公]] | years=1660年 - 1662年}}
{{succession box | title=[[馬寮|主馬頭]] | before=[[ルパート (カンバーランド公)|カンバーランド公]] | after=[[ジョージ・ヴィリアーズ (第2代バッキンガム公)|バッキンガム公]] | years=1660年 - 1668年}}
{{succession box | title=[[第一大蔵卿]] | before=[[トマス・ライアススリー (第4代サウザンプトン伯)|サウザンプトン伯]] | after=[[トマス・クリフォード (初代クリフォード・チャッドリー男爵)|クリフォード男爵]] | years=1667年 - 1670年}}
{{s-reg|en}}
{{succession box | title=[[アルベマール公]] | before=新設 | after=[[クリストファー・モンク (第2代アルベマール公)|クリストファー・モンク]] | years=1660年 - 1670年}}
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